2012年11月1日木曜日

容認2

ああー、今日も本当に疲れた。さあ帰るかあ。今から地下鉄で8駅、池袋で乗り換えて1時間20分の自宅に帰るぞー。そんなんシラフで乗ってられっかよー。耐えられるわけないじゃん。ちょっと池袋で一杯飲んでから帰るかー。

んで、さてと気合入れて、今から急行乗るぞー。みんな疲れてんね。おっさんは当然、若者も、お姉さんも、ぐったり寝ておられます。本当にご苦労さんです。真っ暗な車窓からは、家の灯りがポツリ、ポツン、テンテンテン時々踏み切り、ガラガラガラ、入間川を渡りました。

電車の中の広告を眺めて見れば、まずは週刊誌、次にマンション、分譲住宅、駅から徒歩3分って、その駅から目的地まで何分なんだよー、池袋まで座って行けますって、どれだけ早起きすればいいんだよー、そしてまた目に入る、多重債務を整理しませんかっていう広告、塾、エトセトラ。お先真っ暗。

こんな時でも元気なのは若者だ。途中の駅から乗ってきて、みんな元気だ。なんだ皆、いい子ばっかりじゃないか?最近の学生は、どうたらこうたら、そんないつの時代も言われてきたが、どうだろう。やっぱり彼らは日本の未来を背負ってたってるね。目指すところが違う。頑張って、大人になれよ。隣にいる大人の姿はとりあえず、無視しとけ。大人になっても、満員電車さ?いや容認か??

東京都をでれば出るほど、駅と駅の間隔は広がり、停車駅の身にしみる寒さ、寂しさ、ああこれが、埼玉県である。椅子に座って寝ているお姉さん、皆、能面のように寝ていらっしゃるが、まあたまには、寝言いってにやにやしたり、歯軋りしたり、そういうのもありではないかな。おじさんは君たちの、柔らかい寝顔に癒されたいのだけれど、この時代癒しも有料だからね。

尾羽うち枯らしてという言葉がよく似合うおっさんは、結構途中駅から乗ってきて、まあ服装から言って、両横に山の稜線、なんとも場所をとる様な雰囲気であるが、すでにこのあたりでは、かなりの人が降りているので、それほど、違和感もなく、またそれを軽蔑するような風情で、少しだけまともなオッサンが、俺はまともに仕事してるんだとばかりに、ビニール傘を、まっすぐに立てて、一線を画しているのも、またなんとなく哀れである。こういう、感情は、朝非常に早起きして、同じ電車に乗っている面々にも感じるもので、なにより、このような途中の駅で働いているという勤務先、朝こんなに早くから働かなくてはならない、その人の一身上の都合とやらに思い当たるに、憂鬱が診断君の心を更に、覆うのである。

ここで読者はお気づきであろう。診断君の容認批判とは正に、神の視点にあるもので、小さい頃からそうであるが、どこか上から目線で、大衆を眺め、手にとり、哀れみ、慈しみ、蔑み、そのちっぽけな彼らが、何故この状態を容認しているのであろうと心中、いらいらしつつ、一線を画してきた、不届きな人間である。

であるから、日本では生きて行けず、こうしてタイに20年もいついてしまったものと思われる。であるからこそ、今度はタイ人社会が容認しているものを、神の視点で、あれこれと品評して、毎日生活しているものです。ピックアップの荷台のタクシーとか水溜りで営業する屋台のラーメンとか、繁華街で這って物乞いする乞食とか、エトセトラ。

診断君などという生意気な名前も正にそういうところに由来しているのかと、ここまで書いてはたと気づいたものであるが、大衆が容認する大衆社会での労苦、これは 診断君の侮蔑の対象。何故それを容認して生きて行けるのか分からない、しかし、診断君がこの社会を診断君のわずかな人生の中で変えていけるものでもなかろう、従って、100年くらい未来の読者の皆様には、この診断君の神の視点もあったんだねえーというくらいに思って頂ければ、幸いである。それから、診断君の足跡をたどったり、卒論のテーマにしたり、女性関係を調べたり、診断君で本を書いて儲けたり、まあ、そういうことは自由であると、この文章をもって未来人に許可を与える次第である。

2012年10月22日月曜日

容認

満員電車を容認するということを考えてみよう。
診断君は、幼い頃から、電車通学をしていたので、私鉄の某西武池袋線で通っておりました。今思うと、電車の中はすし詰めで、小さな診断君は、シャリのように人ごみにもまれて、ランドセル毎捻られながら、3つ先の学校のある駅まで通っていたものである。あの息苦しさ、目当ての駅で降りれるだろうか?という心細さ。ある日診断君は、ひばりが丘という、急行の通過待ちの駅で、目の前が真っ白くハングアップし、今思うと非常に危ない状況で、ホームに押し出され、そうして、しゃがみこんでしまったものである。あんなことが容認されていいのか?死ぬところだったぞ。

電車、鉄道経営というものは、当然その箱の中に乗客を詰めれば詰めるほど、儲かるわけである。1分に一本のあるていど隙間の多い電車を設定するところを、3分に一本のすし詰め満員電車を設定した方が、大いにもうかるわけである。鉄道という乗物においてはまさに、こうしたことが伝統的に行われていたわけで、大都市の日本人はこれを容認し続け、最新の診断君の帰日でも確認したが、今日も同じことが行われている。

この状況は、郊外に住宅地が開発されればされるほど、更にひどくなるわけで、昨日まで座れた始発駅は明日は、単なる急行の通過駅になるなんてこともある。なんにせよ、あの息苦しい電車の中で、わーっと叫ばず、1時間、1時間半、2時間も毎日会社に通う。世の中の進歩を尊び、遅れている行政を侮蔑し、極めて知的で、極めて個人性の強い日本人が、こんな満員すし詰め列車を、診断君が生まれた頃以前よりやっているわけであるから、進歩ゼロ。何故これを人は問題にしないのか? 

映画館はどうなのだろうか?昔、診断君幼少時、スターウオーズなんて、座ってみることが出来なかった。親父の横で、背伸びしながら、2時間くらい立ち見した覚えがある。座れるとすると、その次の回からなのだ。しかし、銀座マリオンくらいが出来てからは、少しその状況も変わったのではないか?とりあえずは映画は座って見れるようになったのではありませんか?

日本人の皆さんは、一体これからどれだけ、この満員電車というものを、容認されるおつもりなんでしょうか?選挙で満員電車をなくそうなんて、公約をした政治家を見たことがないが、いたら教えて下さい。診断君は、全力でその政治家を応援することであろう。満員電車って、例えば、混雑率を200%とか250%とか表現するわけである。こんな表現がゆるされるていること自体がおかしくないか?そして、そうした人間の異常な密着状態から、痴漢行為、痴漢冤罪などの問題が発生しているのではないか?または、そんな沢山の人の命を、たった一人の運転手に託していることも、歪な感じがするのである、診断君の本能から言えば。

それで、そうした小学校から、大学まで、電車通勤をしてきた診断君は、社会人になってまで、そんな生活をすることが耐えられなくなり、こうしてタイで(海外で)働く道を探したものである。もしいつか、日本の電鉄会社が、過ちを認め、これからはひとつの電車の椅子に座れる人間の1.5倍くらいまでしか、お客さんをのせません。えらいすんませんでした、などと謝罪をし、その上部円形禿頭を垂れる日がくれば、診断君も、日本に帰ることを検討しないでもないのである。その時は、毎朝、通勤電車の中では、人と人との一定の距離が作られ、その間を、ジャスミンの香りでも流れるようにして見れば、最早、日本人お互いが朝からおかしな疑心暗鬼にとらわれてすごすこともなくなり、逆にまた帰りの電車、(これはいつか別の機会に書くが)のあの、なんとも言えない脂ぎった緩みもまた起こらないのではないかと思う。

最後に、もうひとつの鉄道が生んだ社会悪として、ホームがある。状況からして、あれはどうにも危ない場所である。エレベータで言えば、外の扉がついていないで、中の箱がすかすかと目の前を通り過ぎる状態と一緒である。車に扉をつけていないのとあまり変わらない。今日まで、あそこに柵がなかったがために、どれだけのひとが転落死し、どれだけのひとが、自殺と勘違いされ、どれだけの遺族が、その運行遅延の補償金を払わされたのだろうか?この前日本で丸の内線にのったら、やっとこさ、ホームに立派な柵が出来ていたが、本当、これがない状態が異常ではないか?何故誰も怒らないのだろうか?

診断君は、こういう容認できずに、わっと声を出して叫びたくなるようなことが沢山ある。それは今後徐々にネタとして披露するということで。

2012年8月27日月曜日

トム

トムボーイとレディボーイ

最早、このタイ国においては、性別という国境は、主観的にも客観的にも容認、黙認、無視、感心、面白おかしく、これが自由というものでしょうか? トムな奴も、レディーな輩も、当たり前の如く、混じり合い、寄り添い、スタバでゼミの宿題などやっている風情。これが市民権というのであろうか? 

そもそも市民権とは何であろうか?タイに二十年、診断君は、市民権を獲得したのであろうか?答えは、否。随分と、お金を落としてきたはずであるが、いつかタイ国を愛したものとして表彰されるかは不明である。

あの、見るからに男装に身を包み、見るからに変に華奢で、それでいて堂々とあたりを見下し、麗人を侍らすトムボーイ達を見よ。彼等は結婚もするし、机の上に結婚写真あったし、としとっても一緒に暮らしているし、とにかく普通に普通に、そういう、未婚です、既婚です、親と一緒です、ホクロがありますレベルの普通さで、街を闊歩しているではないか?

この診断という差別主義者は、どうもあのトムボーイが好きになれない。好感が持てない。ごめん、俺ダメだ。古い人間なんだ。まだ、ゲイのカップルの方が、控え目ではないか?普通の友達みたいにして、ちょっと距離が近かったりして。まだ、オカマと男のカップルの方があのマイノリティに有りがちな、攻撃は最大の防御也といった、排除的な感じがないではないか?恥じらいという人間らしい木目を感じるのである。

トムボーイのカップルに感じる、あの独特の機械音はなんであろうか?あの、何事の延長線にも感じられない、非人間的な、アイフォーン見たいな軽薄さ。人間2人が歩く時の独特の、重さ、泥臭さが皆無である。そもそも、性同一性障害という理由で、どうしても現状の自分の性を容認出来ないという現実があったとしても、すべてが、その原因で、トムになったり、レディーになったりしているとは、思えない。大体本当に、楽しそうに卑猥に、イチャイチャしているトムボーイカップルを見たことがない。回す手も、見るからに態とらしい。

何かもっと別の理由で、そういうことになった人もいるのではないかと、診断君は思うのである。

現在の自己を容認出来ない病気ということで考えてみよう。

自分は高校生だが、高校生とは思えない。中学生なんじゃないか?
自分は子供だが子供とは思えない。爺さんじゃないのか?妙に老成している。
自分は大人だが、子供の方が性にあっている。
自分は、日本人だが、イタリア人の方が性にあっている。
自分は、土方だが、事務の方が好きだ。

勿論、これは屁理屈かもしれないが、自分は女ではあり得ないという病気からトムボーイが生まれ、それを好きになる女がいるとするのであれば、この関係には、もっと大きな、男性への嫌悪感がベースにあるのでは?と思うのであるがどうであろうか?トムボーイを好きになる女性とは何か?トムボーイが性同一障害だとしても、その消費者については説明出来かねる部分がある。

実は、診断君は女性には性同一障害なんてないんじゃないか?とまで勝手に考えているのである。あれは、男だけの病気なんじゃ? タイのトムボーイ増加は、好い加減な男性に対する決定的なトラウマが生み出した、トムボーイ第一世代、そして、それを、ファッション及び異性に対する面倒臭さから発生した第二世代と進んできたのではないか?今後行き着くところがあるとすれば、原点回帰のトムボーイと男性のユニホモカップルとか、ゲイと女性のカップル、トムボーイとレディボーイのハイブリッドカップル、私らはそういうカップルだよと周りを見下しながら闊歩する世界ではないか?あらゆる組み合わせをもってしても、男性と女性という素材以上を人間自身が生み出すことは出来ないのであるから、人間は人工的形而上の性を作り出し、誰かがそれに率先して成り切り、それを誰かが真似し、また誰かが寄り添って、ひとつのマイノリティという巨大な団体を生み出すということだ。

このトムボーイに対する否定論の原点は、かつてRCAという盛り場で間違って、女性専用のパブに入ってしまって、診断君も、意外と、見た目結構ユニセックスでトムボーイな外観なので誰にも、気付かれず、様子を見ていたが、女性同士できゃっきゃしているのも、トムボーイのカップルも雰囲気はそうは変わらない。あそこには、恋愛、未練の毒を飲んで、笑ったり、泣いたり、涎を垂らしているものがいなかった。あれは、ちょっと変だ、という違和感から始まったものである。つるんとして、なんか、つまらなそうなのである。 



2012年7月21日土曜日

英語

最近、自身の英語の上達というものを感じている。
 
 やはり必要性があると、どうしてもそうなるものなのだろうか?英語でメールをつくり、英語でプレゼンを作成し、人前でタドタドシク発表し、そんなことを繰り返していくうちに、どうやら診断君も、バイリンガルとして、何とかよちよち歩きを始めたようである。
 
 日本人同士で話をするときも、タイ人と話をするときも、何故か英語の表現のほうがしっくりいくときがあったりして、思わず英語が入ったりして、なるほど、桑田啓祐もこんな感じで、英語を歌詞に交えたりするのなかな?なんて思ったりもするのである。

 会社の中で、タイ人がいて、ドイツ人がいて、インド人がいて、日本人がいて、そうした環境で、皆で英語でコミュニケーションしつつ、お互いの間で起こっている不満については、皆母国語に戻って、話をしている。私は会社で唯一の日本人なので、タイ語で、他の国の人間の悪口に付き合っているという状況である。
  
 何ヶ国語も話をするとして、やはり、母国語というものは大事で、脳の中の思考は日本語で色々と考えているとは思うのだが、こうしてブログに記載して、脳の中の液体のようなものを、ぼんと対象において、そうして眺めてみると、マダマダ考えていることとかけ離れているような気がするので不思議である。まして、これが、どんな主題で書こうと、まったくプロットを考えていないような文章であればなおさら、頭からとりだしては、眺め、次を考え、またそれを取り出しては、眺め、その次をひりだし、そうした感じでどこかで、吐き出した文章のどこかとどこかがつながるときがあって、それをもって起承転結となし、何とか文章まとまった、こんなことはよくあることである。

 ここで英語に戻ると、なんにせよ外国語を話すときは、自国語ではないので、最低限に伝わるであろう表現を探し、相手に伝えようとがんばるわけであるが、日本語と英語では、文法が逆であるために、なんとも言えない、シンプルとは言えない、文章になってしまい、仕方なく、短いセンテンスを羅列するしかなくなってしまう。ただし、相手と喧嘩したりするのと、相手にわかってもらとうと話をするのでは、相手と喧嘩をしようとして外国語を駆使することは非常に簡単だ。わかってもらおうとすればするほど、意味が不明になる。相手も、おそらく、色々な表現をつかって、様々な事例を用いて、説明してくれるのであるが、そんな他の話を持ち出されると、ますます、理解を拗らせ、お互いが膠着状態に陥ってしまう。

 その点、相手と喧嘩使用と思えば、実に滑らかに、言葉が出てくるものである。昔辞書で一度しか引いたことのないような単語まで、思い出され、相手に対して、確実にダメージを不快感を与えることが出来る。ああなるほど、斯くのごとくにして、異人種は、異国の人間同士は、昔から戦争したり、殺しあったりしてきたのに違いない。お互いが、互いの母国語でない世界でコミュニケーションをとって、そうして、どこか納得のいかないまま、一緒に仕事をしていくのであるから、それを白黒はっきりしようとする手段は、喧嘩しかなくなってしまう。しかしながら、それでは同じ母国語ではどうであろうか? 話せばますます分からなくなる。そんな結論を、診断君は密かに結論づけているわけである。



2012年7月1日日曜日

診断君タイランドは、最近更新されていないので、もうあまり見て頂いていないかと思っていたが、読者があるようで、感謝です。

ここのところ、忙しく、というかそういう理由で中々更新しないわけであるが、本当は投稿しようと思えばできないわけでもないのであるが、何はともあれ、一日のほとんどを、車の中で過ごしている人間にとって、コンピューターを開いて仕事をするのは夕方か早朝であり、そこにブログの投稿を思案する時間もなく、メールもほとんどI-PADで確認出来るので、本当に診断君ブログの更新が遠ざかってしまう。

そのI-PADでは、色々な事が出来るし、なによりウインドウズに比べ、立ち上がりが早いので、ついついそちらばかりを見てしまうが、3月、4月と私はそのI-PADのお陰で、こんなことが、起こってしまうのかな? そういうことがあり得るのだとツクヅク、文化と文明と、人間のセンチメンタリズムと、そういうことが呼ぶ涙の複雑さをこの診断君で語りたいと思ったのである。

その人には、大変お世話になったのである。この診断君の人生10年間くらいの間であろうか?診断君の人生をいい意味で動かしてくれた人が、この5月に亡くなりました。

亡くなるというのは、この世にいなくなるということであるが、人間がなくなるということは、今回つくづく思ったのは、色々な事、物、物語を残して途中でいなくなるということなのだな。

そうであるから、その人が亡くなったと聞いた時も、全く月並みであるが、実感がなく、その人に繋がる色々な事象、その人にもらった物、その人が工場で流すようにした放送、その人の孫の顔、その人のかつての部下、その人の飲んでいた酒、そういうものが、その人の不在をよりはっきりとさせるにつけ、悲しみというものが、全く時を選ばず、こみ上げてくるのである。

人の死への悲しみというのは、それがどのような関係にあったかによって、色々とその姿も変わるのであろうが、まったく仕事のつながりから、今日まで、お客様であり、恩人であり、そして10近く離れた診断君をしきりに友人と呼んでくれた、かの人に、こちらも友人として冥福をお祈りすると共に、本当に、この二ヶ月間というもの、沢山の人が、あなたを心配し、頑張ったこともお知らせしなくてはなるまい。

タイの病院に入院中に、あのあなたが嫌がっていた、呼吸補助機のために、話が出来ないので、私は、I-PADの伝言板機能を使って、色々と話のやりとりをしたものである。それは、最初は筆談で始まったことであるが、そのうち、I-PADを使うようになった。あの筆談の紙がどこにいったか知らないが、I-PADの筆談のうち2,3枚は、何故か、今も保存されている。

そこには、日本に帰って、家族と旅行したい、早く復帰したい、そういう思いが震える指で綴られており、診断君は、その時はあの人が、そんな早く逝ってしまうとは思ってもいなかったので、軽い気持ちで、保存していたものである。

しかし、こうなってしまった、今では、これは大事な形見であり、そして所謂これは"残念"という字面そのものが底に残っている。

白状するが、私は臆病な人間なので、今まで葬式とかお通夜とか出席したことなど一度もない。そんな今まで生きていた人の抜け殻を見る勇気は私にはない。悲しいことであるが、人間皆一生に一度経験する死という営みではないか等と割り切った感じで、その癖実は、そういうことに接するのが怖くて’仕方がない。

しかし、今回は、何よりの友人で恩人のことである。私はあなたの穏やかな死に顔に接し、わーっと叫んで逃げたい気分であったが、何とか頑張って通夜までおりました。とにかく色々あったけど、死んじゃいけない。 あなたがどれだけ家族を思い、仕事を思っていたかは、この今は、JPEGファイルになった、その記憶の中に残されている。

夜、夜中、黒い雨が降ってきました。 もう寝ます。あなたのことは決して忘れません。


2012年4月7日土曜日

先輩

先輩や上司の言うことは、時に非常に鬱陶しくも有難く、あの時に言われたとおりにしておけばよかったとか、辞めとけば良かったとか、色々あるが、昔広島で金型の磨きを教わった時に、あれが本当に苦痛であったが、やって置いて良かったと思うのである。 診断君はそもそも、柔な男である。文科系の男であり、家族は女ばかりで、従兄弟も女ばかり、女が柔であるとは人生経験上ちっとも思わないし、その恐ろしさを身をもって体験してきた方であるが、なによりも、その中に一人いる男と言うのは、柔なものである。大学も文学部国分学科であるから、男16人、女26人というクラスで、柔も柔、そういえば、タイは男性より女性の方が多かったんだっけ・・・・どおりで自分はこうしてタイに永住見たいに長く居着いているわけである。 現場仕事というのが本当に苦手なのだ。額に汗して、これに美学を感じないのだ。もうこれは仕方が無い。熱処理工場に初めて行ったその日に、真っ赤に燃え上がるジグを眺め、こりゃあトンデモナイところに来たもんだと思っていたら、隣で肩を叩く生保のおばさん。すぐに加入してしまったが、いま考えると、何で工場の中に入って来ていたのだろうか?ネジを締める方向も知らなければ、金属と、鋼と鉄の区別もつかない、そんな男であったのだ。いま考えると、随分と無謀であったと言わざるを得ない。 広島で金型の磨きを研修した時もそうであるが、本当に苦手なのだ。苦痛なのだ。同じことを何度も何度も繰り返すことへの苦痛は、自分のDNAに組み込まれた原始の拒否反応である。磨いて磨いて磨いて、ネジを締めて、緩めて、締めて緩めて、汗書いて、汚れて、煙草吸って、パチンコ行って、競馬新聞見て、掃除して、片付けて、軍手の洗濯して、バルブ締めて、徹夜して、真夜中に皆が褒めてくれるだろうと、下らないメールを入れて自分をアピールし、会社の金でMAZUIお好み焼き食って、まあとにかく、労働の周辺にあるあらゆる事象に診断君は、拒否反応を示していたのだ。本当に、労働者の皆様にはこの場を借りてお詫びしたい。しかし、許して欲しい。ギュウギュウに締めたネジを、汗水たらして外す時の虚無感を感じないと自分を偽るわけにはいかないんだ。診断君は。同じことを何度も繰り返していると、虚無感を通り越して、三途の川のほとりで、石を積んでいる、水子のような気分である。当然、これをもっと楽に出来ないかと、色々思いをはせるのであるが、何しろ、三途の川のほとりで、石を積んでいる身では、どうしようもないではないか?鬼になって、改善をするしかないのである。 それでとにかく、嫌々と磨きの研修をしていたわけであるが、この時には本当に思っていなかったことであるが、本当にこの研修を受けて良かった。この業界にいて、磨きということがどれだけ大事であるか、よーく分かった。会社を辞めて、ある冷間鍛造の工場に行った訳であるが、磨きが全てであり、命である。 あの時、先輩に強制されて、本当に良かった。僕は中々上司の指示をまともに聞かないことが多かったので、ご苦労も多かったのではないかと、今になって申し訳なく思うのである。 金型というものは、見た目にキラーッと輝いていても、見た目で評価してはならない。どんなにでこぼこでも、そのでこぼこ自体が角をとったように磨いてあれば、キラッと光るのである。面粗さ計はそういうものには、誤魔化されない。要求されているのは、面の輝きではないのだ。形状に対する忠実さである。本当にこればかりは、今、人の手に頼るしかないのである。私も、色々と自動化の方法を考えたものである。でも人の手は偉大だ。作業もすれば、官能試験も同時に行っているのである。それを飛ばして、金型に砂かけて、一見綺麗になりました。面アラさは測って居ません。工程短縮、コスト削減デースなんて、あのお世話になった先輩の管轄で起こる事とは思えない。大体、4つ山にしたつもりの金型に自分の顔が鏡のように映らなければ、もうそこで気がつくはずである。なんでそんなことを教えないで、恥を振りまくのか分からない。 本当に、酔っ払いのおじさんだろうが、パートのおばさんだろうが、人の手で精魂込めて磨かれた金型に叶うものはない。勿論砂をかけるよりは、コストはかかるが、自分は、そのことの大事さを、前の会社で教わったはずである。色にぼけた重役にそそのかされる前に、今からでも遅くないので、診断君にこれからどうキャリアを積むべきかを相談にくるべきであろう。本当に可哀想だ。三途の川で石を積んでいる、水子のようだ。南無三。

2012年2月14日火曜日

洗車機は売れない。

私は、昨年洗車機について、随分と時間をかけ人を投入し、自分を暗示にかけ、人に騙され、大きな損もだし、色々なことが分かり、最後に一回り大きくなって、この事業と決別することを決断したものである。
大人、随分と大人に弄ばれた。あのようなことは二度とあってはならない。

今私は、ラオスのビエンチャンの街の、フランス人が経営する小粋なレストランテで、こうして、久々にブログを更新しているわけであるが、ここは、非常に静かで、うるさいものがなにもなくて、道の舗装が悪くて、泥だらけのランボルギーニとかが、走っていて、ふと思いついたのが、洗車のことである。あれは、この地域で、自動の洗車機を売ろうということ自体が、無謀であった。

診断くんの悪い癖である。与えられた素材に其れなりに、感情移入して、なんとかものにならないかと、考える。企画をする。それで少しでも可能性を見出して、相手に希望を持たせる。しかし、それは随分と無理をして希望を放り出している部分もあるので、注意が必要だ。何しろ、いけます、行けませんという根拠は診断君の頭から絞り出されているので、診断君に保障させなくちゃいけないのに、診断君のいう事を信じ切って、こんな美味しい話なら、診断君とは関係ないところで出来るだろうと、素人判断。売り上げ一つ上がらず、外国人不法就労者のかたまりみたいな会社が出来て、売り上げ一つあがらねば、税務署に目を付けられ、かわいそうな話になつてしまった。

さて、診断くんは、タイに長いこといるが、一番嫌な瞬間は、日本から右も左も分からないで、猫も犬も分からないで、助けてくれ、ナンジャカンジャ、随分と無理を言われ、協力した挙句に、こいつ中間マージンでも取っているんじゃなどと疑われるという結末が、最高に嫌で、あまり日本からきた人を助けないようにしているのである。かつて、私の友人がタイに会社を起こすというので、随分と頑張って、助けたつもりであるが、こちらの誠意というものがつたわらず、随分と悔しい思いをして、喧嘩別れしてしまった。

例えば、あなたが何も分からない世界にいくのであれば、それなりの覚悟が必要であろう。人の世話になるということに対しても、覚悟が必要であろう。もし相手を疑うのであれば、最初から自力でやるべきであろう。

こんなことは、自分も含め、知り合いの会社の社長なんかも散々経験していることで、日本からポーッときて、人助けを仇で返している人は、随分たくさんいることであろう。医者なり、弁護士なり、そういう専門家と接した時に、どうも冷たい感じを受けるのは、これに近い感情で有ろうか。新しい世界に行く時、自力でやるか、先達を頼るか、選択をすべきである。

日本からきて、半分軽蔑、半分疑念で、とにかく助けてくれと頼み込み、最後にインターネットで検索したら、悪いけど、友人より他人を信じるわ 云々、しかしこれが、非常に自然に、日常的にオコッテイルコトナノデアルカラ、私は、人助けなんてやめとこという結論になるのである。

洗車機はまさにそういうプロジェクトであったが、まあ、今考えてみると、診断くんも相手に期待を持たせ過ぎた。相手も、もっと診断君を利用すべきであった。そういうー意味においては、まあ申し訳ない話であった。多分、あの機械は売れないだろう。経理監査にひっかかって、税務署に立入検査を受けるのが落ちである。本当に申し訳ない話である。私利私欲にかられ、人との関係性を軽視した企業の末路は憐れである。お互い大変な時間の無駄であった。しかし、こちらは、学習して終わっただけ、幸せなことであった。

2012年2月5日日曜日

窓は、もういりません。

これから、診断君が、中傷記事をしたためるので、読者の皆様は心して聞いて欲しい。身体の悪い人は、読まない方がいいと思います。

例えば、エイズの特効薬と言うのは、いつまでたっても出ない。現在、世の中のエイズ患者は、所謂延命薬というものを高いお金を出して買って、お金のない人は中々に延命の難しい様子で、それでもインドやらブラジルやらが、高い薬をコピーして、安い薬を製造し、貧しい人はなんとか生き延びているという。もちろん、特効薬がでたら、本当に沢山の人が助かるわけですが、その一方で、今まで延命薬で定期収入を得ていた人、製薬会社の株は下落するのだろうか?また、コンドームの売り上げも落ちるのだろうか。

例えば、ガソリン。これを本当にいらなくなるような、電池自動車とかが生まれたら、どうなのだろうか?診断君は非常に浅はかに考えるのである。ゴルフのカートなんて、朝から昼まで充電なしで山を登り谷を下り、非舗装道路も走っているではないか?あのカートというのは、ずいぶん昔からあると思うので、あれが進化しただけでも随分と世の中は変わりはしないか?ガソリンの需要なんて、三割、四割減っちゃうんじゃないだろうか?だけれども、これもまた、このことで生活をしている人々への影響を考えて、ゆっくりとガソリンのない車にしていこうねーなんて部分でハイブリッドか~があったりして。世の中は一見厳しいようで、実は最近は、グローバリゼーションの中で、先回りしてソフトランディングを用意しているなんてことはないでしょうか? 石炭が、石油に変わった時は、ハードランニングだったのだろうか?

私がこんなことを書いているのは、何を隠そう、アイパッドを購入して、今までウインドウズを搭載したソニーのバイオを使ってきたが、一体今までの私とウインドウズの関係はなんであったのか?つくづく考えさせられたからである。

まず何よりも、今までのウインドウズ(窓とよぼう)の起動時間は一体なんだったのか?通常で起動しても、スタンバイとかハイバネートとか他のモードで起動しても、鼻毛が5本は抜けるくらいの時間がかかる。iPadは、いつでも電話のように起動しているので、すぐ使える。大体、窓の場合、いらないソフトが立ち上がりすぎるのである。あれやこれやと、ソフトのアップデートも多いし、さあ使うぞとなるまでの時間があまりにも勿体無い。おまけに、入力ソフトは遅い上に使いにくいと来ている。こちらの心を打つような変換を出してこないし、例えば窒化とか最初に入れてすぐ出て来た試しがないが、2回目からは出て来いよと思う。iPadは最初から窒化が出てきましたが。ついでに言えば閉じる時間も遅くて、下手したら、ソフト更新とか始めちゃう。好きでもない女の子にトイレの前で待たされている気分だ。

ソフトのアップデートなんて、ユーザーの意思に任せておけばいいのに、更新してください、大変なことになります、と鬱陶しいことこの上ない。それと窓のデスクトップとか、マイドキュメントとか、管理の基準がアプリ基準ともファイル基準ともつかないあやふやな感じであるため、どんどんどんどん、ファイルが溜まって行って、収集がつかなくなる。

そして、コンピュータそのものも問題だ。一体どれだけ電池を喰えば気が済むかしらないが、iPadを使っていると、バンコクから日本に行く飛行機のなかで、ずーっとつかっていてもお釣りがくるくらい電池が持っている。しかし、窓のノートブックでは、かなり厳しいし、面白くないのは、時々ちゃんと終了しないで鞄に入れて、後で出した時に、今燃えだすかというほどアッツクなっていて、どれほどの仕事をして、こんなに熱を排出しているか知らないが、何もしないでこれだけ熱くなっているバイオと、いつも涼しげにお盆みたいな感じで脇の下に挟まっているiPadを比べるにつけ、どれだけ進歩のレベルが違うのかと愕然としてしまう。 それとも、上記のエイズやガソリンの理屈で、わざと進化を遅らせてきたのだろうか?

本当に、コンピュータを開く気がしないのである。あいつが、あっつくなって、カリカリ音をたてる姿を見ると、此方まで馬鹿が伝染りそう。多分、もっと前から、こういうことは出来たんじゃなかろうか?でなければ、マイクロソフトが、コピープロテクトの技術に力を入れた結果、こんな差がでてしまったのだろうか?ソフトひとつ買うにも、窓の奴は高いから、ネット上で気軽に買えない。独占という状態が、如何に人間の進歩によろしくないかということなのだろうか?そして本当の技術の底力なんていうものは、戦争でも起きないと発揮されないものかは??

実は、宇宙なんて軽々と行けるのに、実は地底のマグマなんて何人か既に見に行ったりしていて、まあ大衆愚民がいきなりの変化に対応出来ず、パニックに陥ってもまずいので、なんて思惑が働いているのがこの世の中であるとするのなら、診断君は、iPad購入で、そうした仕組みの一端を垣間見たと思うしかないのだろうか?

2012年2月4日土曜日

吉男君への手紙

前略 吉男君

吉男君、元気ですか?こちらは南の国から診断君です。日本は随分寒いみたいですが、相変わらず小難しい各種専門書と格闘されているのでしょうか? かれこれ、20年近くも南の国におりますので、診断君の肌細胞は限界まで緩み、最早日本のあの厳しい冬の寒さには耐えられないでしょう。

目が覚めると、とにかく布団の中からいかにして出ないでいられるかを考えた学生時代。電気代を滞納していたので容赦なく冷たい朝に電気を止めた東京電力、そして仕方がないので、お湯を沸かして風呂を浴びようと、ひねってもこれもまた滞納で早々に供給がとめられていた東京ガスの蛮行。まずいまずい、流石に追加の仕送りをたのまなくっちゃと、受話器をとるも、血も涙もないNTTはどの公共料金よりも早く、診断くんを、滞納者として断罪しており、残るは、多摩市水道局、一抹の人情....洗顔と歯磨きだけは、当局も、この無法者の滞納者に許してくれた次第。きたない身体を、これも着古しのダサいジャンパーに身を包み、50m離れた公衆電話から、あなたに電話し、命辛々追加の仕送り、分かったと一言、ところがそれから1週間も何の音沙汰も無く、大学のサークル棟でこれも極貧の友人を探し、強引に寸借を繰り返し、なんとか冬の寒さを凌いだ、というのが、日本の冬の私のトラウマとなり、気がつけばこうして南国に移民している理由がそれとは、あなたもあまり分かっていないに違いない。しかし、親のすねかじりであったことは事実。東京電力と東京ガスとNTTは恨んでも、このことであなたを恨みますまい。

あなたを少しも怒っていませんが、あなたといると息苦しかったことも事実だ。あなたの実績なき学歴マニアのお陰で、小学校からお受験を味わった。高校で失敗して、若くして大きな挫折感も味わった。あなたが常に私に与えたプレッシャーは、私の人生を暗くしたが、それはあなたが、悪いのではない。私と、あなたは性格不一致だっただけである。合わないのに、親子であるから、結論のつけようがない。夫婦のほうが未だましであろう。

あなたは、学生時代、ハムという仇名であったらしいが、こちらは高校時代までは、人も振り返る紅顔ニヒルの、痩せぎすの身体に、少し歪んだ青春の苦悩でうつむき加減のかくれ美男子であったのに、大学で続けた不摂生に、気がつけば自分の姿を鏡で見たくないほどに太っちゃった。これも、あなたが、私にスポーツの苦しさしか教えなかったせいに、他ならない。あなたとのキャッチボールは苦痛以外の何物でもなかった。そして、あなたのような高校教職員は、家にいることが多く、一日中、家の真ん中のソファにどっかりと座り込み、何を分厚い本を読んでいるのかと思えば、大漢和辞典全12巻、本当にあなたが家にいると息がつまった。エコノミークラス症候群みたいな毎日でした。

さてだらだらと、こんな、手紙を書いているのは、もしかして、もしかしてであるが、あなたがすでに此の世にいないのではないか?という気がするからである。あの10年前の熟年離婚から、私は母味方になっていたし、弁護士手配したりして、離婚訴訟には完勝と思いきや、あなたは強かにも、都公務員の隠し退職金をもって秋田の田舎に、引っ込んでしまった。それから今日まで全くの音信不通。あなたの周辺にいる人も、よく分からないので、こうしてインターネットというものを使って、お父さん、生きてますか?とお尋ねする次第です。もし生きていれば、そのまま生きていて頂ければ結構であるが、お亡くなりになっているのであれば、息子として、人並みに、墓参りのひとつもさせてください。あるいは、もう、死んじゃってるよーの一言でもメールでもいいので入れてください。これが、我々に残された僅かな親子の、絆というものでしょう。

これは、和解とか、そういうものではなく、もっと事務的な確認作業にすぎないかも知れませんが、私が先にこれを行っているということは、私の方がまだ、あなたに比べ、人間の条件を持ち合わせている証ではないかと密かに思っているのです。

南国タイのヨウラクボクの木の下にて....吉克

2012年1月25日水曜日

診断君 中国正月

診断君の父方の祖父は、宮大工であったが、徴兵で戦争に行き、以前に見た墓碑によればブーゲンビル島という島で、戦死されたのだという。所謂玉砕というものではないかと推測されるが、自分もまたこんな南の国で、かれこれ20年も生活している。

母方の祖父は、満州鉄道の機関士で、戦前に祖母を連れて二人で一念発起、満州に移住したのである。母はしたがって、大連で生まれた。日本が無条件降伏をして、ソ連が満州国に攻め込んで来て、祖父は、ロ助(ソ連人のことを彼はそう呼んでいた。)に背中を刺されながら、シベリアに送られることもなく、共産党に洗脳されることもなくなんとか、日本に家族ともども帰って来たのである。その子孫である診断君は、3月に上海で会議があるので、中国に出張しなくてはならない。

どちらの祖父も、秋田の人間であるが、随分と違う戦争体験をして、その子孫は、日本に居ることなく、こうして南の国で、緩んだ生活をして、診断君等と称して、人を騙していることを、あの世からどんな思いで見ているのだろう。

我々は、いつもこんな思いで、アフリカで餓死者があれだけ出てるのに、僕はステーキの脂身を食べないで残しちゃったとか、俺がこんな遅くまで仕事しているのに、何でおめえは遊んで嫌がるんだとか、私は出産で苦しい思いをしているのに、あんたは性欲のかたまりね!ぷんぷん! とか、人間ってこういう思考の仕方で、突拍子もない別々の人間同士の比較をし、常にその是非を問い、快楽の中に後ろめたさ、満腹の中に命の危険、成功の影に思わぬ不幸を憂い、最後に多かれ少なかれの苦痛をもって、この世からおさらばするのだろう。

 さて、そうして、死んでしまうと、一体そういう我々の思考はつながっているのだろうか?つながっていかないと考え、肉体が滅べば、ハイそれまでよと思えば、ニヒルにもなりつつ、やはり空恐ろしくなり、こういう結果の分からない先が、死の恐れのすべてであると思われる。

暗い話題であったが、最近診断君も本来の陰湿の性格を取り戻し、せめて自分の文章の中では、人に媚びることなく生きていこうと、美しく決心をした次第である。皆さん、暗くなった診断君にご期待ください。

2012年1月19日木曜日

体重測定

診断君は、大学時代からずいぶん長いことデブと呼ばれるカテゴリーに属する人間であることを、まずはここに告白しなくてはならない。診断君などと、偉そうに名乗っているが、どれだけ医者にデブと診断されたかわからない。国際社会における人種差別、更には民族間の差別も深刻な問題であるが、デブは外目に見て、わかりやすいということもあり、かなりおおっぴらに差別されることが多く、努力しても中々デブから脱却できないという点において、深刻な社会ストレスの一種として考えるべきであろう。年齢はごまかせる。既婚未婚も誤魔化せる。学歴も誤魔化せる。どんなことでも、傍から見てわからないことは多い。痩せた人間がデブに化けることも出来る。しかし雨空の下も、青空の日も、雪の日も、デブだけは隠せない。

なんにせよ、診断君はもうこれ以上、デブを続けるわけには行かないのである。どこかで、全ての数値が限界値を越え、ぶったおれるかもしれない。最近血圧も高い。デブが命に関わるという思いは今までなかった。ストップ”デブ”キャンペーンを実施中である。

ここのところ長続きしているのが、体重測定ダイエットであるが、これをしていると色々とわかることがある。例えば、毎朝パンツ一枚で体重を量っているわけだが、時々忘れて腕時計などしていると、0.1kg目盛りが変わる。メガネでは、こういうことはない。大体、メガネをかけないと、体重計の目盛りが見えない。体重計くらい、バリアフリーに縁遠いものはない。

シャワーに入る前と入った後でも、大体0.2kg違う。体についた汚れそのものが0.2kgあったと考えるのが適当であろう。当然、トイレで大をしちゃった後というのは、相当体重が違うのではないかと考えるのであるが、これが以外にそうではない。0.1kgが触れるか、ふれないか?そんなものではないか?

ここのところ診断君は、朝ごはんを抜いている。そして、忙しければ昼ごはんも抜くようになる。夜はあまり食べちゃだめだというが、夜食べないわけには行かないじゃない。どうやっても、どんな理由でも、夜には様々な用事があるわけで、その用事の中心に夕食がある限り、これを食べないわけにはいかない。ところが、昼とか、朝とかは、場合によっては、食べなければ食べないで誤魔化せる。夜を抜くということは、もう人との付き合いはしませーんと宣言しているようなものではないか?営業の仕事でそれは出来ない。朝昼を抜くと、大体1.5kgくらいの体重差が翌日出てくる。ただし、これは夕食の条件をそろえた場合であるが、何度も試したので間違いないことだ。昼にちょっとでもマクドとか、クエッティオとかそういうものを摂取していれば、いくら夕方に宴会がなくても、体重の変化がないのは、まず間違いないところだ。デブは朝昼はぬくべきである。一日一回の充電で十分。

毎日色々なタイプの夕食をとった場合に、大きく3つのタイプの夕食に分けることができる。それは宴会と、外食と、適当な粗食(カップラーメンなど)というところである。

宴会、これはもう絶対に重量が増えているのではと思うのだが、その宴会のタイプによって、意外に体重が減ることもあることをお知らせしたい。まず焼肉系、シャブシャブ系といった食事は、どんなにセーブしても駄目である。体に残るのだ。MKスキも一緒である。しかしながら、居酒屋系の宴会と、タイ料理屋系の宴会については、まだ細かいところまで分析仕切れていないが、体重が減ることがわかっている。居酒屋系で思うのは、ビールを控え、何よりも最後の〆のうどんとか、卵ご飯とかそういうことを避けていれば、むしろ体重は減る方向にいくことがわかっている。またタイ料理というのは、時に大幅に体重を減らすことがある。どの料理をとれば減るのかは現在鋭意分析中であるが、どうも海鮮料理系のタイ料理を食した翌日は、体重減少が見られる。

ちなみに〆のラーメンは絶対駄目。2kgくらい太るんではないだろうか??
むしろステーキなんか食べると、意外に体重の変化はなかったりする。

宴会はどうしても毎週③,4回は避けられないものなので、こうしたことを頭に入れて、 宴会に挑みたいものであるが、酒で麻痺した満腹を感じるリミットスイッチが、最後の締めの炭水化物摂取をどこまで制止してくれるか、心もとないところではある。

タイ料理の場合、あまり清潔ではないところで食べている時もあって、単にお腹を壊して体重を減らしている面もあるかもしれない。タイ料理の翌日は、時間があれば何度もトイレにいき、ラミネートチューブのようにひり出している・・・という状況が多いように感じられる。

ところで、寝不足というのはこれもよくないようで、寝不足の場合、体重が0.5kg増加しているということを何度も経験している。人間は、夜寝ている間に、重量を減らしているのではないか?その活動時間が短ければ短いほど、体重は減らないのである。ただし、この寝不足が、年甲斐もなく深夜まで、ディスコにいました、コヨーテと踊っていました・・・ということであれば、これは十分な運動をしているのだから、体重は減っている場合が多い。この場合の寝不足とはただ単に本とか、漫画とか映画とかで夜更かしをしましたという場合の寝不足をさしている。人間は寝ている間に、別の世界に行っているのだろう。そこで色々な活動をしており、時にそれを夢として垣間見るのである。

まだ実験段階であるので大きな声では言えないが、
1.朝、昼は食べない。>>体に悪いという人がいるが、根拠がない。デブよりは健康的。
2.夜は、ちゃんと寝る。寝られないときは、しかるべき場所で踊る。
3.焼肉はなるべく避けよう。なにより、便通が悪くなる。それでも食べなければいけない時は、なるべく生焼けを食べて、お腹をこわそう。
4.真夜中のラーメンは無敵のデブ要素である。
5.〆に注意。
6.タイ料理を食べるときは、なるべく火のとおっていないものを頼もう。
7.ビールよりウイスキー。
8.カラオケしながら食事をすると絶対やせる。(1次会からカラオケに行ってしまう)なぜなら、人間の口は、歌えば、食べることはおろそかになるし、暗いところでは、あまり食べれない。食欲は、視覚から得る要素が大きい。
9.運動は体重を減らすが、その結果が出るのは非常に遅い。で、なんだ頑張ってもだめじゃんと苦労の割りにリターンが少ないことを苦に辞めてしまう。似たようなことで、ゴルフの練習がある。あれは練習してから大体3ヵ月後ぐらいに結果がでるもの。運動で体重を減らそうとすると、途中で怪我をしたり、風邪を引いたりして、必ず挫折要因が現れる。食事療法の場合、食べることを挫折する訳がないので、長続きがし、現実的。
10.1週間に1回は、故意にお腹をこわそう。(屋台でヤムウンセンを食べる等)
11.ベストは朝昼を抜き、夕方にカップヌードルを食し、水割り数杯を飲み寝てしまうという生活。これで確実に毎日2kgずつやせることが出来る。ただ最後に体重が無くなっちゃうかも知れないので、きをつけよう。
12.体の汚れを侮ってはいけない。1日の汚れは0.2kgはあると考えてよい。>診断君 体面積比より計算・・・

しかし人間の体は神秘である。個人的には、夜遊びを増やせば増やすほど、絶対に痩せる筈であるが、仕事が忙しいと、それは不可能である。
以上診断君のダイエット教室でした。

2012年1月6日金曜日

新年 所感 2012

診断君ブログの読者の皆様 新年あけましておめでとうございます。

旧年中は本当に、津波、洪水と水の災害というか水に関わる天変地異に次々見舞われ、流石の診断君も、被災者一歩手前というところまで行き、随分と嫌な気分を味わいました。

ここのところ、Facebookというものに凝りだしており、これが中々、最初は馬鹿にしていたのですが(失礼)何はともあれ、古い友人探しというものは楽しいものです。おそらく、これは新しい友人を求めるという目的にも使われるのでしょうが、診断君はもうそれほど新しい友人は要らないなあなんて思うわけです。新しい出会いって、楽しいじゃない。はいそれはそうなんですがね、時として、非常に疲れます。新しい出会いよりは、新しいお気に入りのレストランを探すほうが楽しい。

こうしてみると、自分はあまり社交家ではなく、人より目だって前に出ようというタイプでもなく、どちらかというと、草陰タイプという感じがします。もとより、自分には故郷というものがないのです。東京都練馬区に生まれたものの、そこは秋田県から出てきた父母が新婚後最初に住んだ場所であり、東京っ子というわけではない。小学校、中学校、高校と電車で通うような有様で、同級生は受験戦争の荒波の中で生き別れ、大学は学生が万に届くかというマンモス校、実家の引越しも数度ありましたので、卒業アルバムもどこにあるのか分からず、まして浪人、留年、学校行かないというような恥ずかしい(いや むしろ誇りに思う)日々の中で、人のつながりなどに気を配る暇もなく、今日までやっと生きてきた次第です。

ところへ、このFacebokとやらが現れて、あら不思議、昔の友人を探してくれる。最近ついついはまってしまうのは、いたし方のないところである。今、学生時代をすごしている人は、こうしたツールを使って、お互いが生身で接している以上の情報を得ることが出来るのだろう。そもそも、我々は、一緒にいても、結構基本的なその人の情報を知らないことが多いのである。

今回もFacebookにて、色々と昔親しかった友人の検索をかけてみたが、何しろ苗字は思い出せるのだが、名前が出てこない。どうしても、どうやっても出てこない。かといって、色々と卒業名簿をネットで手に入れられないものかと思ったが、これはこれで今の情報保護の観点から、そう簡単に手に入らないよう出来ているのである。私のような実だけ太い根無し草には、このような困難が付きまとう。これが地元というものを持っている人との違いで、ナザレのイエスは生まれ故郷に入った時だけ、奇跡を発揮できなかったというが、何しろ生まれ故郷がないので、診断君はどこへ行っても、奇跡だらけなのだ。

Facebookだけでは、もの足らず、Mixiとやら、Twitterとやらに手を出そうと試みたが、流石に診断君がそこまでのめりこむのは難しい現状がある。

何より、後ろ向きの行為と揶揄されようが、診断君は今後もどしどしFacebookにて古い友人を探していこうと思うのである。こうしてある時期を共有して、今再び、生きながらえて再会できる・・・そういう喜びが、診断君44年の歴史の中で味わう日が来たのであろう。誰になにを言われようと、構わないんだ、開き直っちゃった。

 以下アドレスです。本年もよろしくお願いいたします。

http://www.facebook.com/yoshikatsu.kagoya




2012年1月1日日曜日

診断君 新年あけましておめでとうございます。

2012年になりました。皆さん、痛快、難解、癖のあるブログ診断君を本年もよろしくお願い申し上げます。Facebookでアップ出来なかった、ナイトクルーズでの花火等の写真を掲載します。