2012年10月22日月曜日

容認

満員電車を容認するということを考えてみよう。
診断君は、幼い頃から、電車通学をしていたので、私鉄の某西武池袋線で通っておりました。今思うと、電車の中はすし詰めで、小さな診断君は、シャリのように人ごみにもまれて、ランドセル毎捻られながら、3つ先の学校のある駅まで通っていたものである。あの息苦しさ、目当ての駅で降りれるだろうか?という心細さ。ある日診断君は、ひばりが丘という、急行の通過待ちの駅で、目の前が真っ白くハングアップし、今思うと非常に危ない状況で、ホームに押し出され、そうして、しゃがみこんでしまったものである。あんなことが容認されていいのか?死ぬところだったぞ。

電車、鉄道経営というものは、当然その箱の中に乗客を詰めれば詰めるほど、儲かるわけである。1分に一本のあるていど隙間の多い電車を設定するところを、3分に一本のすし詰め満員電車を設定した方が、大いにもうかるわけである。鉄道という乗物においてはまさに、こうしたことが伝統的に行われていたわけで、大都市の日本人はこれを容認し続け、最新の診断君の帰日でも確認したが、今日も同じことが行われている。

この状況は、郊外に住宅地が開発されればされるほど、更にひどくなるわけで、昨日まで座れた始発駅は明日は、単なる急行の通過駅になるなんてこともある。なんにせよ、あの息苦しい電車の中で、わーっと叫ばず、1時間、1時間半、2時間も毎日会社に通う。世の中の進歩を尊び、遅れている行政を侮蔑し、極めて知的で、極めて個人性の強い日本人が、こんな満員すし詰め列車を、診断君が生まれた頃以前よりやっているわけであるから、進歩ゼロ。何故これを人は問題にしないのか? 

映画館はどうなのだろうか?昔、診断君幼少時、スターウオーズなんて、座ってみることが出来なかった。親父の横で、背伸びしながら、2時間くらい立ち見した覚えがある。座れるとすると、その次の回からなのだ。しかし、銀座マリオンくらいが出来てからは、少しその状況も変わったのではないか?とりあえずは映画は座って見れるようになったのではありませんか?

日本人の皆さんは、一体これからどれだけ、この満員電車というものを、容認されるおつもりなんでしょうか?選挙で満員電車をなくそうなんて、公約をした政治家を見たことがないが、いたら教えて下さい。診断君は、全力でその政治家を応援することであろう。満員電車って、例えば、混雑率を200%とか250%とか表現するわけである。こんな表現がゆるされるていること自体がおかしくないか?そして、そうした人間の異常な密着状態から、痴漢行為、痴漢冤罪などの問題が発生しているのではないか?または、そんな沢山の人の命を、たった一人の運転手に託していることも、歪な感じがするのである、診断君の本能から言えば。

それで、そうした小学校から、大学まで、電車通勤をしてきた診断君は、社会人になってまで、そんな生活をすることが耐えられなくなり、こうしてタイで(海外で)働く道を探したものである。もしいつか、日本の電鉄会社が、過ちを認め、これからはひとつの電車の椅子に座れる人間の1.5倍くらいまでしか、お客さんをのせません。えらいすんませんでした、などと謝罪をし、その上部円形禿頭を垂れる日がくれば、診断君も、日本に帰ることを検討しないでもないのである。その時は、毎朝、通勤電車の中では、人と人との一定の距離が作られ、その間を、ジャスミンの香りでも流れるようにして見れば、最早、日本人お互いが朝からおかしな疑心暗鬼にとらわれてすごすこともなくなり、逆にまた帰りの電車、(これはいつか別の機会に書くが)のあの、なんとも言えない脂ぎった緩みもまた起こらないのではないかと思う。

最後に、もうひとつの鉄道が生んだ社会悪として、ホームがある。状況からして、あれはどうにも危ない場所である。エレベータで言えば、外の扉がついていないで、中の箱がすかすかと目の前を通り過ぎる状態と一緒である。車に扉をつけていないのとあまり変わらない。今日まで、あそこに柵がなかったがために、どれだけのひとが転落死し、どれだけのひとが、自殺と勘違いされ、どれだけの遺族が、その運行遅延の補償金を払わされたのだろうか?この前日本で丸の内線にのったら、やっとこさ、ホームに立派な柵が出来ていたが、本当、これがない状態が異常ではないか?何故誰も怒らないのだろうか?

診断君は、こういう容認できずに、わっと声を出して叫びたくなるようなことが沢山ある。それは今後徐々にネタとして披露するということで。

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