2012年7月1日日曜日

診断君タイランドは、最近更新されていないので、もうあまり見て頂いていないかと思っていたが、読者があるようで、感謝です。

ここのところ、忙しく、というかそういう理由で中々更新しないわけであるが、本当は投稿しようと思えばできないわけでもないのであるが、何はともあれ、一日のほとんどを、車の中で過ごしている人間にとって、コンピューターを開いて仕事をするのは夕方か早朝であり、そこにブログの投稿を思案する時間もなく、メールもほとんどI-PADで確認出来るので、本当に診断君ブログの更新が遠ざかってしまう。

そのI-PADでは、色々な事が出来るし、なによりウインドウズに比べ、立ち上がりが早いので、ついついそちらばかりを見てしまうが、3月、4月と私はそのI-PADのお陰で、こんなことが、起こってしまうのかな? そういうことがあり得るのだとツクヅク、文化と文明と、人間のセンチメンタリズムと、そういうことが呼ぶ涙の複雑さをこの診断君で語りたいと思ったのである。

その人には、大変お世話になったのである。この診断君の人生10年間くらいの間であろうか?診断君の人生をいい意味で動かしてくれた人が、この5月に亡くなりました。

亡くなるというのは、この世にいなくなるということであるが、人間がなくなるということは、今回つくづく思ったのは、色々な事、物、物語を残して途中でいなくなるということなのだな。

そうであるから、その人が亡くなったと聞いた時も、全く月並みであるが、実感がなく、その人に繋がる色々な事象、その人にもらった物、その人が工場で流すようにした放送、その人の孫の顔、その人のかつての部下、その人の飲んでいた酒、そういうものが、その人の不在をよりはっきりとさせるにつけ、悲しみというものが、全く時を選ばず、こみ上げてくるのである。

人の死への悲しみというのは、それがどのような関係にあったかによって、色々とその姿も変わるのであろうが、まったく仕事のつながりから、今日まで、お客様であり、恩人であり、そして10近く離れた診断君をしきりに友人と呼んでくれた、かの人に、こちらも友人として冥福をお祈りすると共に、本当に、この二ヶ月間というもの、沢山の人が、あなたを心配し、頑張ったこともお知らせしなくてはなるまい。

タイの病院に入院中に、あのあなたが嫌がっていた、呼吸補助機のために、話が出来ないので、私は、I-PADの伝言板機能を使って、色々と話のやりとりをしたものである。それは、最初は筆談で始まったことであるが、そのうち、I-PADを使うようになった。あの筆談の紙がどこにいったか知らないが、I-PADの筆談のうち2,3枚は、何故か、今も保存されている。

そこには、日本に帰って、家族と旅行したい、早く復帰したい、そういう思いが震える指で綴られており、診断君は、その時はあの人が、そんな早く逝ってしまうとは思ってもいなかったので、軽い気持ちで、保存していたものである。

しかし、こうなってしまった、今では、これは大事な形見であり、そして所謂これは"残念"という字面そのものが底に残っている。

白状するが、私は臆病な人間なので、今まで葬式とかお通夜とか出席したことなど一度もない。そんな今まで生きていた人の抜け殻を見る勇気は私にはない。悲しいことであるが、人間皆一生に一度経験する死という営みではないか等と割り切った感じで、その癖実は、そういうことに接するのが怖くて’仕方がない。

しかし、今回は、何よりの友人で恩人のことである。私はあなたの穏やかな死に顔に接し、わーっと叫んで逃げたい気分であったが、何とか頑張って通夜までおりました。とにかく色々あったけど、死んじゃいけない。 あなたがどれだけ家族を思い、仕事を思っていたかは、この今は、JPEGファイルになった、その記憶の中に残されている。

夜、夜中、黒い雨が降ってきました。 もう寝ます。あなたのことは決して忘れません。