2010年5月6日木曜日

夜のプール

こう見えても診断君は小学生と中学生の時は、泳ぎで自らを鍛えた
ものである。特に遠泳が得意で、東京湾、太平洋側沿岸を制覇した
ことはあまり知られていない。最高で3時間を泳ぎきったが、あのまま
泳ぎを捨てずにいたら、高校卒業時くらいには泳いでワイキキビーチ
に辿り着きABCストアでお土産を買って、それを担いでまた東京湾まで
戻るというような快挙も成し遂げたのでは?と思うと、途中で泳ぎを辞めた
自分が残念でならない。あの頃の渾名は、白河童であった。赤い褌
しめた白い河童。

今では、白い河童もも40を過ぎ、メタボとの日々の戦いに追われて
いる。なんにせよ、3食どうやっても、油脂分の多い食事から逃れる
ことはできない。だから、おのずと運動をしなくてはいけなくなる。

近所の大きなコンドミニアムの中にプールがあって、これが夜の
10時まで開いている。小生は、今日もそこで泳いできたのである。
幼少の折、大洋の海水と格闘し、あわや海上保安庁に入隊という
海の男にとって、カルキ臭いプールの水は泳いでいて何も楽しい
ことはないのだが、背に脂肪は乗せられない。ここ暫くは時間を
見つけてここで泳ぐことにしたのである。

夜のプールは、間接照明と水中の照明に照らされ、視界はあまり
よくないが、数人の男女が、思い思いに泳いでいる影が見える。
さすがに子供の姿はなく、若い男性が特に多いようだ。
体を水につけると、最初は冷たいが、さっと水につかるとすぐに肌が
慣れ、そしてそれが如何に昼の太陽に熱されて、ぬるま湯
であるかを知ることとなる。ここのプールは一般のプールから比べると
大きいが、その形状がやや変わっており、王貞治のファースト
ミットのようである。一番長いところで70mくらいあるが、いびつに
曲がっている。

シャツを脱ぐ瞬間は緊張の一瞬だ。男子がその体を人前に
さらすからには、鑑賞者に対する、ある程度の衝撃を与える必要
がある。小生は深呼吸をし、巧みにその吸い込んだ酸素を肩や胸の
付近に配置し、また腹回りの筋肉に若干の緊張を与え、あたかも
海兵隊の兵士のように周りを威嚇しつつ脱衣した。しかしながら、
まあ、こんな夜中では、その手の込んだ起伏もあまり見えないようで
誰もみちゃおらず、中には男女でプールのすみでいちゃついているもの
もあり、やや気抜けがしてそのまま体を水に沈めたものである。

よし、今日の目標は2kmおよぐぞ、と自分にいいきかせ、自分が
もっとも得意であり、また一般人のクロールよりも早いと絶賛された、
平泳ぎで、淡い間接照明に照らされたカルキ臭いプールを息もつかず
行き来した。

夜のプールは、静かにそしてさらっとした肌触りで、小生も大きな
ふりの水かきですべるように水面を進んでいく。暗くて、まわりの
人があまり見えないので、注意が必要であるが、ときたま、足を
ばたつかせてしまうようなミスをしても、その音はすいっと水のなかに
吸い込まれてしまう。このまま、もし死んでしまったら、誰にも知られず、
ひっそりと水の底に沈んでいくに違いない。そして明日の朝になれば、
登校前のジョギング中の英語の先生に足だけ浮かんだ状態で
発見され”ひゃー”とかいってのけぞられるのではないか?

まわりのタイ人の泳ぎは総じてクロールが多い。しかも面白いことに
日本だと、右左右左と息継ぎするように教わらなかったであろうか?
この人たちは前に向かって平泳ぎのように息継ぎをする。しかも、
3回か4回の水かきでは息継ぎをせず、時々3回くらい顔をだしてクロール
をする。あの顔出しクロールだけは真似ができない。真似てみたら
溺れかけた。

500mを泳いで一回休みを入れては、暗い夜空を見上げる。そして
思う。なんにせよ、こんな時間、自分はプールで優雅に水泳だ。
感謝しましょう。満員電車でやっと椅子を見つけて、終点まで
居眠り・・・そういう生活したくないから、タイに移民したんじゃないか?
時間はお金に代えられない。命の節約だけは、避けましょう。
できれば温泉もあればいいんですが・・・

そうして1.5kmを泳いだころであろうか?夜も9時を回った頃、
ビキニを着た長身の女性がプールサイドに現れたのである?
悲しいかな診断君も男だ。脳幹の中では下記のような議論が
展開された。
1.なぜこんな時間にビキニを着て一人で泳ぐのか?
2.ビキニというのは昼間に明るいところで、これみよがしに着るもの
ではないのか?
3.しかも泳がずに、しばらくロックチェアの上で寝ているが、まさか
月光浴か?しかしここからでは月はみえんぞ?
4.あの女が、自分の航路に現れたら、どう対処すべきか?潜水
しちゃおっかな?そもそも今の航路では、あきらかにあの女を
見に来たように勘違いされるのも心外だ。
5.余計なお世話じゃないのか?

本当に男は情けない生き物だ。こう見えても、跡で慙愧の思いにたえ
かね、”なんで俺は男に生まれちまったんだよう”なんて枕を濡らす夜も
あるのだ。この自分でさえこれだ。いわんやほかの男性たるや・・・・

いずれにしても、自分の航路に彼女が降りてくるであろうことは
まあ間違いない。しかし、ここで航路を変えるのもおかしな話なので
小生は、そのまま何もなかったように振舞うことに決定した。
残りの200mくらいのところで、彼女の近くまできた。すると彼女は
徐に立ち上がって、水に飛び込んだ。飛び込むその音は、随分と
大柄な女性という印象だ。
その場所から遠く離れて向こうを見ると、彼女の姿は見えなかった。
不思議だ。潜水でもしているのだろうか?思わず足元を見たが、
誰もいなかった。そして、ヨークみると彼女は頭だけだして寝転んで
いるのがわかった。更にわかったことは、彼女が子供用のために
わざわざ浅瀬にしているところに寝転んでいるということであった。

夜9時のプールで、ビキニを着て月光浴をし、しかる後水に飛び込んで
子供用の浅瀬で寝転んでいる彼女の奇行に激しく興味を覚えた。
たとえば、泳げないとかそういう悩みがあって、人に見られたくない
のでこんな夜に練習しているのだろうか?しかしビキニをどう説明
するんだ?泳げないで隠れて練習する控えめなお姉さまが、ビキニ?

しかし、ああ神様、彼女がその子供用の浅瀬から、立ち上がり、
明るい照明の下で背を向けたその背中の起伏をみてすべてを
小生は全てをさとったのである。あのたくましい僧帽筋はか弱い
女性にはありえない。あってもジャガー横田くらいじゃないの?
すみません、またオカマのネタでした。でも実話です。

夜のプールでは淡い影と、音と、その人の気配が時に冷静な
判断を鈍らせる。おとなしく無心で泳ぐべきだろう。今後の継続
に暗雲がたれこみつつ、小生は森羅万象のうずまく夜のプールを
早々に退却したのであった。