2012年8月27日月曜日

トム

トムボーイとレディボーイ

最早、このタイ国においては、性別という国境は、主観的にも客観的にも容認、黙認、無視、感心、面白おかしく、これが自由というものでしょうか? トムな奴も、レディーな輩も、当たり前の如く、混じり合い、寄り添い、スタバでゼミの宿題などやっている風情。これが市民権というのであろうか? 

そもそも市民権とは何であろうか?タイに二十年、診断君は、市民権を獲得したのであろうか?答えは、否。随分と、お金を落としてきたはずであるが、いつかタイ国を愛したものとして表彰されるかは不明である。

あの、見るからに男装に身を包み、見るからに変に華奢で、それでいて堂々とあたりを見下し、麗人を侍らすトムボーイ達を見よ。彼等は結婚もするし、机の上に結婚写真あったし、としとっても一緒に暮らしているし、とにかく普通に普通に、そういう、未婚です、既婚です、親と一緒です、ホクロがありますレベルの普通さで、街を闊歩しているではないか?

この診断という差別主義者は、どうもあのトムボーイが好きになれない。好感が持てない。ごめん、俺ダメだ。古い人間なんだ。まだ、ゲイのカップルの方が、控え目ではないか?普通の友達みたいにして、ちょっと距離が近かったりして。まだ、オカマと男のカップルの方があのマイノリティに有りがちな、攻撃は最大の防御也といった、排除的な感じがないではないか?恥じらいという人間らしい木目を感じるのである。

トムボーイのカップルに感じる、あの独特の機械音はなんであろうか?あの、何事の延長線にも感じられない、非人間的な、アイフォーン見たいな軽薄さ。人間2人が歩く時の独特の、重さ、泥臭さが皆無である。そもそも、性同一性障害という理由で、どうしても現状の自分の性を容認出来ないという現実があったとしても、すべてが、その原因で、トムになったり、レディーになったりしているとは、思えない。大体本当に、楽しそうに卑猥に、イチャイチャしているトムボーイカップルを見たことがない。回す手も、見るからに態とらしい。

何かもっと別の理由で、そういうことになった人もいるのではないかと、診断君は思うのである。

現在の自己を容認出来ない病気ということで考えてみよう。

自分は高校生だが、高校生とは思えない。中学生なんじゃないか?
自分は子供だが子供とは思えない。爺さんじゃないのか?妙に老成している。
自分は大人だが、子供の方が性にあっている。
自分は、日本人だが、イタリア人の方が性にあっている。
自分は、土方だが、事務の方が好きだ。

勿論、これは屁理屈かもしれないが、自分は女ではあり得ないという病気からトムボーイが生まれ、それを好きになる女がいるとするのであれば、この関係には、もっと大きな、男性への嫌悪感がベースにあるのでは?と思うのであるがどうであろうか?トムボーイを好きになる女性とは何か?トムボーイが性同一障害だとしても、その消費者については説明出来かねる部分がある。

実は、診断君は女性には性同一障害なんてないんじゃないか?とまで勝手に考えているのである。あれは、男だけの病気なんじゃ? タイのトムボーイ増加は、好い加減な男性に対する決定的なトラウマが生み出した、トムボーイ第一世代、そして、それを、ファッション及び異性に対する面倒臭さから発生した第二世代と進んできたのではないか?今後行き着くところがあるとすれば、原点回帰のトムボーイと男性のユニホモカップルとか、ゲイと女性のカップル、トムボーイとレディボーイのハイブリッドカップル、私らはそういうカップルだよと周りを見下しながら闊歩する世界ではないか?あらゆる組み合わせをもってしても、男性と女性という素材以上を人間自身が生み出すことは出来ないのであるから、人間は人工的形而上の性を作り出し、誰かがそれに率先して成り切り、それを誰かが真似し、また誰かが寄り添って、ひとつのマイノリティという巨大な団体を生み出すということだ。

このトムボーイに対する否定論の原点は、かつてRCAという盛り場で間違って、女性専用のパブに入ってしまって、診断君も、意外と、見た目結構ユニセックスでトムボーイな外観なので誰にも、気付かれず、様子を見ていたが、女性同士できゃっきゃしているのも、トムボーイのカップルも雰囲気はそうは変わらない。あそこには、恋愛、未練の毒を飲んで、笑ったり、泣いたり、涎を垂らしているものがいなかった。あれは、ちょっと変だ、という違和感から始まったものである。つるんとして、なんか、つまらなそうなのである。