2011年1月28日金曜日

警備というお仕事

自宅には随分前から、日本の某有名警備会社が導入した警備システム
が導入されている。診断君のいる住宅地はこのあたりでは1000世帯を
超える大きなものなので、それなりのシステムがいるのであろう。

しかし、こいつは、しょっちゅう壊れていて、何のために導入したのかという
疑問もわいてくる。専用のカードが住民に配られており、敷地から出る時、
このカードをセンサーに翳して、ゲートが開く仕組みである。

しかし(しかし)そのゲートはしょっちゅう(しょっちゅう)開け放しになっていて
或いはゲートそのものが外されている始末である。(仕組みである)これは
まずいんじゃあないか?

大体、この警備会社には良い思い出がない。以前の会社で、診断君が
朝出勤したら、従業員の一人が会社のSUSの結束線を盗んだという報告
をここの警備員がしてきた。流石日系だ。以前のタイの警備会社であったら
グルになって犯罪幇助しているところである。
確かにそのような状況が見られたので、すぐに警察に通報。目撃した
警備と一緒に警察にいって証人になってくれと頼んだわけである。

その時は、その警備員はOKなどと言っていたが、暫くして警備会社の
日本人が電話をかけてきた。曰く、自分とこの警備員が、そんな証人に
なったら、彼の命が危ない・・・と。さらには、あなたもそんなに危ないこと
は辞めなさい、と心配までして下さった。それでこちらも切れた。警備業者
が顧客よりビビッてどうするんですか?何のために、あんたらに番をさせて
いるんですか?

結局、これでどうしようもなくなったが、従業員本人はそれっきり会社に戻って
こなかった。おそらく有罪だったのだろう。

その後、会社の経理の女性部長がヤミ宝くじの元締めであることを警察に
突き止められ、会社に踏み込まれ、連行された時も、(日本人が見ていない
ところで鮮やかに連行されたのであった。)全く顧客である我々に報告を
しなかったので、流石に怒って警備会社を代えようとしたところ、この警備
会社は、タイ人の偉いさんなんかも含めた大勢で現れ、こちらは警察の大物
とコネがあるんじゃと大いに威嚇され、結局警察が 入ってきても何も報告しな
かったことを正当化されて唖然としたのである。

こんなことは、今までの警備会社でもよくあったことであるが、日系のほうが
タチ悪いじゃん、ということで落ち着いた。

警備会社、この存在をどうするべきなのだろうか?

今思えば、はるか学生時代に、どうしてもお金がない時に、府中の競馬場の
交通整理の警備 のバイトをしたことを思い出す。寒い中でただ赤い交通整
理灯を8時間近く振り回す。しかもその当時は競馬の協会がJRAと名前を
変えたときで、一種の競馬ブーム。あのオグリキャップと武豊で大人気で
あった。

とは言え、やはり競馬場。ばくちの好きなオッサンガ、月の頭に月給全額
すってしまい、ぷりぷりと、当り散らすは、JRAの腕章をしたわれ等哀れな
警備員である。(このやろう、散々儲けやがって!)我々のあの哀れな姿
を見て、どう考えても儲けているようには見えないはずであるが、あの腕章
のお陰で我々もJRAの共犯である。

あのバイトを辞めるまでそれほどの時間はかからなかった。オグリキャップ
の大事な試合の時に、診断君は馬が走るレーンの外側に並ぶ警備を
させられた。オグリも武も見ることができて、なかなか有意義なバイトで
あったが、馬が走る時は、それに背を向けているので退屈なことこの上ない。
前日は随分遅くまで歌舞伎町で飲んでいたので、眠くて仕方がない。
気がつけば、JRAのその少し(少し)太った警備員は、レーンの外側に
蹲り、眠ってしまったのである。お客さんが、(どうしたの、体の調子でも
悪いの?)と起こしてくれた時には遅かった。見回りの他の警備員に
見つかり、バイト出入り禁止となったのである。

警備員、これは一体とこまで有意義な仕事なのだろうか?これを否定し
肯定しうるものは何であるのか?診断君の人生の永遠のテーマではない。

2011年1月27日木曜日

デジャブ

全く今まで訪れたことのないところに来て、これはいつか見たことのある
風景だと感じることをデジャブ(既視感)というのである。
逆に毎日見慣れた風景であるのに、それが初めてみたもののように
感じることをジャメブ(未視感)という。

こうした不思議な感覚は、あまり霊感も鋭くなく、毎日見えるものしか見えない、
聞こえるものしか聞こえない、そういう平凡な診断君でも、これはデジャブ
 かな?という感覚だけは良く覚えるのである。

デジャブを感じた時、しかし、それは以前の何かあった時の塗りなおしの
ようなことが起きていて、だからあの後は悪いことがあったとか良いことが
あったとかの感覚が沸き起こり、良いことがあったときは、期待感が、
悪いことのデジャブは、警戒感や不安感が高まるものである。

上記を要約すると、見た覚えのないものを見たような気がする。
見たことの在るものが初めてみたものに見える、というこうした心の
錯覚は、例えば同じ300ヤードのパー4で打ち下ろしなら短く、打ち上げ
なら長く見えるという目の錯覚が心の感覚の中にも起こり得るので
あれば、それは人間機能の至極ありがちな日常的バグであるとも言える。

ではこうした感覚は味覚や、聴覚にもあるのであって、そうしたバグが
時に人間を楽しませたり、悲しくさせたりするのではないか?

我々は、完全にこの世界を五感で把握しきっているという錯覚の元に
生きており、それがために、その脆弱な地盤が時折露呈して、悲しい思い
楽しい思いをするものではないのか?

ここで重要なのは全てのこうした錯覚が受身の感覚であるのに対し、
それをもって、人間は今後の重要な判断を下すということである。
時にこの錯覚は一人の人間の内的な現象にとどまらず、或いは
大衆心理とも言われる中で発生する場合もあるのである。
人間の行動基準に錯覚と呼ばれるものは稀ではなく、むしろほとんど
ではないかと考えるべきであろう。例えば
1.自分の旦那は浮気はしない。
2.自分は会社で最も役に立っている人間。
3.会社は自分を重用している。
4.真夜中にメールを送れば仕事をしていると思われるに違いない。
5.腕まくりして現場に行けば、仕事をしている証。
6.あいつは多少いじめても、手を噛むようなことはしないだろう。
7.景気はどんどんよくなるだろう。
8.自分は大会社の重役、サプライヤは自分を尊敬している。
等等

錯覚がために、周りがまたその外観を錯覚し、あいつは出来る奴と
祭りあげ、出来もしない顧客へのプレゼンに一人で行かされ、散々
突っ込まれた挙句、誰もフォローしてくれませんでした、えーーん
なんて結果になるのがおちなので、錯覚するのはともかく、錯覚を
利用して社会の評価を得るのは、辞めたほうが良いだろう。
朝は朝であり、晩は晩である。皆が寝ているから、起き、皆が起きて
いるから寝るというような錯覚を利用した売名行為は、情けない。

さてここで重要なのは、錯覚は、全ての時系列の事象にほぼ起こりうる
現象なのであり、それがデジャブでもメジャブでもあるはずである。
ただ、その時感じた不思議な感覚が、やはり特別な感情を呼び起こす
ことは事実である。錯覚>感情>行動 という人間の営みは、
それこそ無数に行われているだろう。だが事実の完全な把握という
行為をその中の針の一点からあぶりだすことが、仕事の上では非常に
重要なことであるといえる。

2011年1月25日火曜日

心配事

最近、道が空いていないか?どうも渋滞が減ったような気がして
ならないのである。もしかして、また、とんでもない不況が襲ってくるの
ではあるまいか?実際に弱電関係はすでに昨年からよくないという
風に聞いている。診断君そのものをは本当に忙しく、今日も午前様
である。しかし、気になる。

混んでいるより'空いているところのほうがいいのは事実だが、あまりに
空いていると不気味なものである。

いつでもブログが更新できるようにI-PHONEかI-PADを購入したい
のだが、暫くはSONYのXPERIAで我慢しようかしら?
車も世界標準車で暫くは我慢か?

一体、体はもつだろうか?何歳まで生きれるのかしら?会社は
3年もったら御の字であろう。明日も早いのでおやすみなさい。

2011年1月24日月曜日

異常気象とは?

地球の温暖化が日に日に進んでいるという。
冬が異常に寒かったり、異常に暖かかったりすると必ずこういう
話題が出て、地球に住む人類としての不安を募らせるわけである。

中でも、温暖化によって氷がとけて海面の上昇が起こるというのは
よく聞く話である。これが進んで、最後は世界のほとんどの大都市が
海抜0mより低くなってしまうのではないか?なんてことを心配する。

毎日、世界のどこかで造船が行われている。中国だけでも年間
2000万ton以上の船を作っている。日本の埋立地総面積は、東京都の
6個分もあるのである。鯨は(シロナガスクジラだけをとっても)一頭
あたり150ton、かつては30万頭いたといわれているが、捕鯨乱獲で絶滅の
危機に貧し、捕鯨禁止後はかなりの再繁殖を遂げていると言われる。
こうしたことを考慮して、海面の水位の話をしているのであろうか?

また、海底の地面は海水を受ける洗面台やバスタブのようなもので
あるくらいに思っていないか?そもそも、ある一定量の水量容積が
あるから、氷がとけたら海面が上がるのです・・・等と興奮しているの
ではないのだろうか?

逆に、こうしたファクターをひとつひとつ考えれば、海面がいつまでも
一定であることの方が気持ち悪いではないか? 海は丸い地球に
へばりついているのである。地球の重力と海水の関係が微妙に変
わりつつあるのです・・・が正解ではないのか?


地球を憂うことも重要であるが、人類の存在価値を地球と、宇宙と
脳の特殊な働きから、画期的な論説を展開する哲学者が現れても
またいいのではないか? 何故なら、リーマンショックでも分かった
ように、資本主義は近い未来に、破綻する可能性、あるいは人類が
次なる進歩を遂げるのに見直される可能性があることが分かっている
のである。それは今までに考えられたことのないような、手法で
なくてはならないだろう。インカの民でさえ、とんでもない水のリサイクル
システムを2000年以上前に完成させていたのである。ところが資本
主義は、ハンバーガーを時間がたったら捨てさせ(最近は気づいて辞めた
らしいが)賞味期限切れのノリ弁を値引きしないで捨てろ指示させて
いるのである。

いつまでも資本主義を続けたいがための、自然保護なり、アイラブアースは、全く
意味のないものになるだろう。通貨は確かに、人類の叡智であるが、それに
いつまでもしがみついていれば退歩以外の何者でもないだろう。企業と
個人の関係も新たなモチベーションを求められていくであろう。人材は
お徳用詰め替えパックではないのである。