2012年1月25日水曜日

診断君 中国正月

診断君の父方の祖父は、宮大工であったが、徴兵で戦争に行き、以前に見た墓碑によればブーゲンビル島という島で、戦死されたのだという。所謂玉砕というものではないかと推測されるが、自分もまたこんな南の国で、かれこれ20年も生活している。

母方の祖父は、満州鉄道の機関士で、戦前に祖母を連れて二人で一念発起、満州に移住したのである。母はしたがって、大連で生まれた。日本が無条件降伏をして、ソ連が満州国に攻め込んで来て、祖父は、ロ助(ソ連人のことを彼はそう呼んでいた。)に背中を刺されながら、シベリアに送られることもなく、共産党に洗脳されることもなくなんとか、日本に家族ともども帰って来たのである。その子孫である診断君は、3月に上海で会議があるので、中国に出張しなくてはならない。

どちらの祖父も、秋田の人間であるが、随分と違う戦争体験をして、その子孫は、日本に居ることなく、こうして南の国で、緩んだ生活をして、診断君等と称して、人を騙していることを、あの世からどんな思いで見ているのだろう。

我々は、いつもこんな思いで、アフリカで餓死者があれだけ出てるのに、僕はステーキの脂身を食べないで残しちゃったとか、俺がこんな遅くまで仕事しているのに、何でおめえは遊んで嫌がるんだとか、私は出産で苦しい思いをしているのに、あんたは性欲のかたまりね!ぷんぷん! とか、人間ってこういう思考の仕方で、突拍子もない別々の人間同士の比較をし、常にその是非を問い、快楽の中に後ろめたさ、満腹の中に命の危険、成功の影に思わぬ不幸を憂い、最後に多かれ少なかれの苦痛をもって、この世からおさらばするのだろう。

 さて、そうして、死んでしまうと、一体そういう我々の思考はつながっているのだろうか?つながっていかないと考え、肉体が滅べば、ハイそれまでよと思えば、ニヒルにもなりつつ、やはり空恐ろしくなり、こういう結果の分からない先が、死の恐れのすべてであると思われる。

暗い話題であったが、最近診断君も本来の陰湿の性格を取り戻し、せめて自分の文章の中では、人に媚びることなく生きていこうと、美しく決心をした次第である。皆さん、暗くなった診断君にご期待ください。

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