2012年4月7日土曜日

先輩

先輩や上司の言うことは、時に非常に鬱陶しくも有難く、あの時に言われたとおりにしておけばよかったとか、辞めとけば良かったとか、色々あるが、昔広島で金型の磨きを教わった時に、あれが本当に苦痛であったが、やって置いて良かったと思うのである。 診断君はそもそも、柔な男である。文科系の男であり、家族は女ばかりで、従兄弟も女ばかり、女が柔であるとは人生経験上ちっとも思わないし、その恐ろしさを身をもって体験してきた方であるが、なによりも、その中に一人いる男と言うのは、柔なものである。大学も文学部国分学科であるから、男16人、女26人というクラスで、柔も柔、そういえば、タイは男性より女性の方が多かったんだっけ・・・・どおりで自分はこうしてタイに永住見たいに長く居着いているわけである。 現場仕事というのが本当に苦手なのだ。額に汗して、これに美学を感じないのだ。もうこれは仕方が無い。熱処理工場に初めて行ったその日に、真っ赤に燃え上がるジグを眺め、こりゃあトンデモナイところに来たもんだと思っていたら、隣で肩を叩く生保のおばさん。すぐに加入してしまったが、いま考えると、何で工場の中に入って来ていたのだろうか?ネジを締める方向も知らなければ、金属と、鋼と鉄の区別もつかない、そんな男であったのだ。いま考えると、随分と無謀であったと言わざるを得ない。 広島で金型の磨きを研修した時もそうであるが、本当に苦手なのだ。苦痛なのだ。同じことを何度も何度も繰り返すことへの苦痛は、自分のDNAに組み込まれた原始の拒否反応である。磨いて磨いて磨いて、ネジを締めて、緩めて、締めて緩めて、汗書いて、汚れて、煙草吸って、パチンコ行って、競馬新聞見て、掃除して、片付けて、軍手の洗濯して、バルブ締めて、徹夜して、真夜中に皆が褒めてくれるだろうと、下らないメールを入れて自分をアピールし、会社の金でMAZUIお好み焼き食って、まあとにかく、労働の周辺にあるあらゆる事象に診断君は、拒否反応を示していたのだ。本当に、労働者の皆様にはこの場を借りてお詫びしたい。しかし、許して欲しい。ギュウギュウに締めたネジを、汗水たらして外す時の虚無感を感じないと自分を偽るわけにはいかないんだ。診断君は。同じことを何度も繰り返していると、虚無感を通り越して、三途の川のほとりで、石を積んでいる、水子のような気分である。当然、これをもっと楽に出来ないかと、色々思いをはせるのであるが、何しろ、三途の川のほとりで、石を積んでいる身では、どうしようもないではないか?鬼になって、改善をするしかないのである。 それでとにかく、嫌々と磨きの研修をしていたわけであるが、この時には本当に思っていなかったことであるが、本当にこの研修を受けて良かった。この業界にいて、磨きということがどれだけ大事であるか、よーく分かった。会社を辞めて、ある冷間鍛造の工場に行った訳であるが、磨きが全てであり、命である。 あの時、先輩に強制されて、本当に良かった。僕は中々上司の指示をまともに聞かないことが多かったので、ご苦労も多かったのではないかと、今になって申し訳なく思うのである。 金型というものは、見た目にキラーッと輝いていても、見た目で評価してはならない。どんなにでこぼこでも、そのでこぼこ自体が角をとったように磨いてあれば、キラッと光るのである。面粗さ計はそういうものには、誤魔化されない。要求されているのは、面の輝きではないのだ。形状に対する忠実さである。本当にこればかりは、今、人の手に頼るしかないのである。私も、色々と自動化の方法を考えたものである。でも人の手は偉大だ。作業もすれば、官能試験も同時に行っているのである。それを飛ばして、金型に砂かけて、一見綺麗になりました。面アラさは測って居ません。工程短縮、コスト削減デースなんて、あのお世話になった先輩の管轄で起こる事とは思えない。大体、4つ山にしたつもりの金型に自分の顔が鏡のように映らなければ、もうそこで気がつくはずである。なんでそんなことを教えないで、恥を振りまくのか分からない。 本当に、酔っ払いのおじさんだろうが、パートのおばさんだろうが、人の手で精魂込めて磨かれた金型に叶うものはない。勿論砂をかけるよりは、コストはかかるが、自分は、そのことの大事さを、前の会社で教わったはずである。色にぼけた重役にそそのかされる前に、今からでも遅くないので、診断君にこれからどうキャリアを積むべきかを相談にくるべきであろう。本当に可哀想だ。三途の川で石を積んでいる、水子のようだ。南無三。

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