2010年5月22日土曜日

今日が夜間外出禁止令の最後 ゴルフ上達論

先輩に、君のブログは文章長すぎと言われました。
まあ、そう言われてみれば長いですが・・・・これからは駒切り
でいきましょうか?

夜間外出禁止令で夕方早く帰って、ゴルフの練習に行きました。
ちょうど西向きに向かって打つので、逆光になって何が
なにやら分かりません。それでも、低く垂れ込めた雲に太陽が
隠れて、やっと落ち着いて練習できるようになりました。

そうして練習をしていて、はたと気がつきました。なぜ、10年も
ゴルフをしていて、ゴルフがうまくならないか気がついたのです。
それは150球打ったところで気がつきました。

ゴルフは非常にメンタルなスポーツです。鳥が、自分が何故
空を飛べるのか疑った時に、空から落ちてくるように、
(俺は今日なんでこんなにいいスコアなんだ?)と疑った瞬間に
OBに連続で3回はめたりする。当たり前のようにこなすことが
このスポーツの原点です。鳥が空を飛ぶ練習をしますか?
魚が泳ぐ練習をしますか? 人間が歩く練習をするときは、
怪我してリハビリの時でしょ?

それを、誰も見ていないのに、今日は200球だとか、300球だとか
練習するから、本番で沢山叩くのです。90で回りたければ、毎日
90球打てばいい筈です。なんでこんな簡単なことに気がつかな
かったのでしょうか?何百球も叩くから、体が何百球も叩く癖が、
ついているんです。有難う、夜間外出禁止令・・・お陰で、ゴルフ
がうまくなれそうな気がしてきました。練習しないのは、別問題です。
体に自然に身につけることが重要。

ほかのスポーツは違いますよ。あくまでゴルフの話です。
習った先生が悪かったのか、貧乏根性論で今日まで来ていました。
自然他律論でいきます。
おっと長くなりました、これで終わります。

2010年5月21日金曜日

夜間外出禁止令第2夜 お勉強
























伊勢丹は無事な様子である・・・・その同じ建物の逆側のセントラルZENは
崩壊しているのに何故か?何故なら、この建物は伊勢丹側が先に出来て
いて、その後セントラルがその逆側を大きな吹き抜けに改装したからである。
あの吹き抜けが仇になったのだろうか?あんなタイヤ燃やしただけで、
あそこまで燃えてしまう。

その他、都内30箇所以上が燃やされた。サイアム映画館は立ち直るの
だろうか?

今回、デモ隊がシーロムに入ろうとするところで軍隊は阻止に出たが、
ラジャダムリ沿いやその横のウィタユ沿いには大使館が多くあり、
アメリカも日本もあるのであるが、この軍隊がデモを阻止した場所の
境界はひとつの議論を後々生まないか?なにしろシーロムには、
バンコク銀行の本店がある。首相の支持基盤だと聞く。

こうした時間を勉強に費やすと色々と新しいことが分かってくる。
近代タイの歴史は、まともな政権交代が非常に少なかったようである。
ある時点においては、海軍がクーデターの主体であり、ある時代から
陸軍がその主体になっている。共産主義が流れ込む1970年代には
学生のからむ大きな流血事件が起こっている。

今の王様は、チャクリ王朝第9代目の王様である。第5代目の王様
は、(王様と私)という映画で元祖スキンヘッドのユルブリンナーが
演じたタイ国近代化の上で最も大きな役割を果たした王様である。
(チュラロンコン大王)
この王様は、当時タイ領であったラオスやカンボジア、マレー半島の
一部をイギリス、フランスに割譲すると共に、周囲の国にはない近代的
中央集権国家を樹立し、タイの植民地化を防いだというお方である。

そうしてみると、タイの領土はこの頃もっと多かったのか?と思われる
がその基礎を築いたのは、今のチャクリ王朝の前の、トンブリ王朝
の王様、タークシン王である。1700年代半ばのことだが、この王朝
はタークシン王一代の王朝のようだ。軍才に優れ、たちまちラオス、
カンボジアを領土にしてしまったのである。チャクリ王朝の第1代王は
この人の腹心であったが、晩年にタークシン王が乱心し、クーデターで
王朝が代わったわけである。

我々日本人からみれば、タークシンもタクシンも一緒だが、
共通点を羅列すると、
①タークシンはもともとシンという名前で、タイ北部のタークという
国の王であったから、タークシンと名乗った。
②しかしタークシンもタクシンも、日本人からみればあまり変わらないが
綴りがほぼ全然違う。田中さんと棚加さんくらい違う。
③タクシンは広東省出身の華僑 客家であり、タークシンも広東省出身の
潮州系の華僑である。
ちなみに出身は一緒であるが、客家は正当な漢民族として
言葉も、生活様式も一線を画した状態で、中国の政変のたびに
移住を繰り返してきた人々である。タクシンさんは、華僑から、
タイに同化したこの客家の流れを組むが、客家とはちなみに
客人であり、その地に馴染まぬものという意味もあるようだ。
④タクシン チナワットのチナワット家は、北部華僑の名家であり、
賭博上の税徴収をしていた丘氏の孫がタクシンさんである。
一方のタークシンのお父さんも賭博上で税徴収の仕事をしていた。
この仕事は一体どういう仕事なんでしょうね?
⑤どちらも、華僑をうまくまとめて政権についたところは似ている。
タークシン王は華僑をまとめて、ラヨンで兵を起こしている。
⑥タークシンは華僑であることを後々恥じて乱心したが、タクシン
さんは、むしろこれを元に、中国との関係を深めたし、タクシン政権
には数名の共産党員がいた。

お勉強はこれで終わりましょう。タクシンさんもタークシンさんも、
共通点は多いみたいです。

平和、これを早くお願いします。

2010年5月19日水曜日

外出禁止令































バンコクについに夜間外出禁止令が出てしまいました。
今日の夜の20時から、明朝6時までです。

あしたは、広告が入るんです。みんなで診断の広告を見る日に
してください。

今までバンコクでは問題はほぼあまり後にひかず、一過性に
問題が収束することが多かったので、タイに長い日本人は、
そのうち終わるだろうという楽観論で見ていますが、今回は
ちょっとおかしい。

問題を殊更に大袈裟にとらえる気はありませんが、タイ人の
アイデンテティよりも、混乱のカタルシスに希望を見出している
人が多いのではないか?

大学は週末まで休みですが、新入生の歓迎行事の練習で
ずいぶんと賑やかです。(上の写真)そこから、紛争中の
街の方を見ると(下の写真)空が黒くなっているのがわかります。
あの黒雲がこれ以上広がらないことを願ってやみません。

2010年5月18日火曜日

タイ情勢 広がる危機感

宝くじの換金は、別に街の中に行かなくてもよかったということが
わかりました。あやうく、サナムルアンまで行くところでした。

ラムカムヘン大学から自宅までは約、15kmくらいあります。
しかし、ここがおかしくなったら、次は別の大学に飛び火する
かもしれません。

テロはいたるところで、今のところ人が死なない程度に起きて
います。ここで思い出すのは、南部の日常的なテロです。
不思議でなりません。あれは一体何だったんでしょう?
以前に読んだ本では、南部に混乱を起こすことでもっとも
大きな損害を蒙るのは、タイとマレイシア国境付近に
計画されていた、運河です。日本も関わっていたこのPJは
中止されました。これが中止になるとどうなるのか?
ご想像にお任せします。

この紛争は、当事者なき戦いです。自分の支持者が、命を
はって戦っているのに、自分はフランスで買い物しています。
もう一方の当事者ついては、辞めておきましょう。

あんな撃ち合いをしている橋の上の高速は通常どおりで、
車が走っています。あの橋の下は、よく警察に捕まるところ
です。危なくないんでしょうか??

クロントイは、スクムビットのすぐ裏側です。そこに新たな
デモの拠点ができています。何故この段階でとめないんでしょうか?

私はどちらの支持者でもないが、新たな事業を起こすには、
ずいぶん困ったことが起こってくれました。

タイ情勢 学生 混乱 言語 広告

昨日大学に行ったところ、大学の前にあるバンコク銀行のガラスに
3つ穴が開いていました。警察がいましたが、学生によれば昨日の
朝に向かいのビルから撃たれたのではないか?ということでした。

学生たちも、そこここで集まって議論をしているように思いました。
昨日、今日は政府発令で休みですが、新入生の歓迎行事の準備
があり、比較的多数の学生が、Tシャツにサンダルはいて、学校の
中をプラプラしていました。

ある薬品が切れたので、すぐ購入するように連絡させたら、全く
連絡がとれず、会社はシーロムにあるということで納得が行きました。

今、特に大きな混乱となっている、ラマ4世通りは、日本人の多く
住むスクムビビットと平行に走り、その間をいくつかの大通りで
結ばれています。ラジャダムリという通りはその中でも特に大きな
通りで、この通りとラマ4世、スクビット(といっても街中ではプルンチット
通り)を十字に結び更に平行に走っているペッブリという道を十字に
結び、道は途中でラジャバロップという道になります。ここにも
外国人は多く住んでいます。

スクムビットに住んでいると、この3つの道の平行していることを
理解していれば、例えば伊勢丹に行きたい時、この3つの道の
どの道を通るか、高速を使うか?とルートを考えます。

何故なら、スクムビットは非常に混んでおり、スクムビットという片側
三車線の道を車で渡るだけでも至難の技だからです。

デモ隊と軍隊は、このラジャダムリ、ラジャバロップの道を中心に
紛争しておりそこから、上記3つの道に広がっています。日本大使館
も、日本亭も、伊勢丹も、昔はそごうも大丸も、このラジャダムリ沿いに
ありましたといったほうがわかりやすいのでしょうか?

スクムビット(プルンチット)からラジャダムリを通じて、ラマ4世に入る
十字路のところに銅像とルンピニ公園がありますが、ここはバンコク
市民の憩いの場所といったことになります。そしてここを突っ切り
ラジャダムリの延長がシーロムという道になります。

以前教えてもらったことには3Sとか4Sとかいう言葉ですが、このラマ4
から南側に伸びている3つの道は、それぞれに意味のある通りです。

シーロムは一見金融街です。何故ならバンコク銀行の本店があるから
です。この道は電車も通っています。しかし金融街というより、オフィス、
観光、色々と混在した場所と言えるでしょう。

この東側に平行にラマ4通りから伸びているのが、サトーン通りです。
ここはむしろ、道も広く、銀行やホテルが並びます。比較的後から
開発された道と言えます。

シーロムと平行して、西側に伸びているのがスリウオンです。入り口
に有名なジムトンプソンの店があります。道は、サトン、シーロム、
スリウオンの順に狭くなっていきます。スリウオンはやはり、観光
の道といった感じがします。このスリウオンに平行して、更に西に
セピアという道がありますが、昔からいる人はここに遊びにくること
が多かったとか?この4つの道を総称して4sといいます。

シーロムとスリウオンを結ぶ道がタニヤでありパッポンです。
説明は不要でしょうか??

タイは、もともと地震もなく、誰かに国を焦土にされたというような歴史
もなく、計画都市ではなく、歴史の流れそのままに街ができています。
ですから非常にわかりにくいし、猥雑に見えることでしょう。それが、
いいと言う人がおり、いやだと言う人がいる。

全然話が脱線しました。大学は街から河を隔てて西側にありますが、
ここでさえこんな銃撃を受けています。そして昨晩は、診断君の
住むラムカムヘン通りのラムカムヘン大学でも、デモ隊と学生を
中心とした騒ぎがありました。この大学はオープン大学で、学生の
人数は非常に多く、通信教育等もあり、何とか大学を卒業したい
人はここに籍を置いている場合が多い。

さて、先週アピシット首相が、和解案を提示したので、これで今回は
収まるだろうと判断し、診断君は日本人会に言って、診断コンサメーション
の広告を入れて来てしまいました。ところが今週になって問題は激化。
駐在員も、日本に帰る人まで出てきました。

ため息です。6000部入れたのですが?タイの日本人社会に向けて。

わるいことばかりじゃありません。5月16日に宝くじが20000バーツ
あたりました。お天等様は見ていらっしゃる。明るく、前向きに、
頑張りましょう。どこで換金するんですかね?

2010年5月16日日曜日

タイ情勢 5:5の危うさ

おそらく、市街地のデモになった時に考えるべきことであったに
違いない。金融、商業、政治、外交、そうしたこと影響のあるほとんどが
今の地区に集まっているのだ。診断君がショックだったのは、ルンピニ
公園の状況もそうであるが、ラマ4とサトーンの交差点でも撃ち合い
をしていることである。
相手が非武装なのに、何故ここまで制圧に時間がかかるのか、
不思議だったが、そうでなく、逆に戦線が拡大しているではないか?
このまま、日本人の多く住むスクムビットに広がっていかないという
保障はない。何故なら、電車で2,3駅でいく距離だからだ。
線路を伝えば訳はない。1992年とは場所が違うのだ。あれは
むしろ、王宮のほうであった。

しかも、昨日はAISという元タクシン所有の携帯電話が一時不通に
なっていた。ATM、銀行、電気、水道、こうしたインフラに影響が
でる可能性を昨日は味わった。携帯がない生活を暫くしていない
ので、人と連絡が不通になる状態に耐えられない。

これから、ちょっと大学の研究室を見に行きます。
大丈夫だろうか???

タイ情勢 を真面目に考えてみた。

今回のバンコクは、本当にまずいんじゃないんだろうか?
下記のリンクは、結構今回の情勢に関する写真、ヴィデオを集めていて
状況のリアルな形が伝わってくる。英語だけど・・・
http://www.thethaireport.com/thethaireport/index.html
1992年の騒乱のときはちょうど、診断君赴任の前の月に、似たことが
あったが、あの時はむしろタイのインテリあるいは中間層などが犠牲に
なったと聞いている。しかし、今回は貧困層が主体のデモである。
これに同調している人間は山ほどいるのだ。そこかしこに・・・
タクシーの運ちゃん、露天のおばちゃん、ガソリンスタンドの兄ちゃん、
女中さん、駐車場の整理係の兄ちゃん、みなカタルシスを感じるに
十分な状況であろう。
確かに、タイは相続税とかないので、金持ちはいつまも金持ちという
印象がある。ただサイアミーズドリームもこれはこれであると思っている。
なにしろ、タイ人は会社を辞めようが辞めまいが、すぐ自分で商売を
思いつく。そうして成功する人が出てくる。
金型屋なんて、そのいい例だ。日系の大手で金型部門にいて辞めて
大きな金型工場の社長なんて、10人は知っている。

しかし、タイの貧困層といっても非常に階層が深く、深刻だったのか
もしれない。それが火をふくようなことになれば大変なことだ。軍隊
だって、徴兵制度でクジを引き当てた農民じゃないか?
金持ちは、クジあてても、コネでなんとか回避できるから。
金のないやつはおとなしく徴兵に従うだけだ。

アピシット首相の家を見れば、どう考えても富裕層の出であることは
明確である。タクシンのほうがむしろ、チェンマイの警察官出、
苦労人、成金という雰囲気に見える。

貧困層という言い方から少し変えて、貧乏な生活をしている人は非常に
多いのですよ。タクシン首相は彼らに家を与えた。あちこちに、日本で言う
市営住宅団地みたいなのが、今日も一杯建っている。診断君のオフィス
近くにもある。あれのお陰で、間違いなくホームレスは減った筈だ。

これから、大きな強制排除に入った時に、軍隊内に変化が起きないか
大変心配だ。それが起これば、クーデターに近い180℃展開の可能性も
あるんじゃないか?そもそも、外国人が沢山タイに居るが、外国人がタイ
にお金を落とすことも事実なら、タイの貧困層には手の届かないような格差
社会を引き起こす一因であるのも事実であろう。そういう当たり前では
あるが、今まで触れなかった傷・・・王様の威光で保留されてきた傷ではないか?

しかし、上記リンクのヴィデオは、ショックだ。ルンピニ公園の中に、兵士が
銃を打ち込んでいるシーンがあった。あそこには去年あたり、よく散歩に
いったのよ。本当に、都会のオアシスだと思っていました。その前は
偏見もあったけど、そこであんなことやっているの。
情報では、サムットプラカン県でも、同様のデモが始まったようだ。
あちこちで起こるこれは一体何なのか?今回の制圧が成功すればするほど
場所を変えて、同様のデモが発生し、国中に広がるのではないか?という
不安がここにきて大きく頭をもたげている。実際赤黄支持者は5分5分で
あるという、タイ国内の雰囲気をタイにいない方にはわかってもらいたい。
下手にどちらかの悪口は言えないのが現状なのだ。
前回の空港封鎖とはちょっと内容が違うように感じる。
しかし、空港封鎖の時もそうであったが、デモの中に子供連れの主婦が
いるわけである。今回、軍隊はそこに水平射撃をすることになる日も
くるのではないか?今の調子なら。

今まで、傍観者としてこの騒乱を見てきたが、(というかそうせざるを得ない
外国人であるので)自分なりに何らかの対策をとる時がきたのではないか?
カンボジアの二の舞はないだろうが、収まるところに収まらないという
不安は日増しに高まるばかりである。カンボジアには共産主義があったが、
タイには、対立を解決する最終回答があるのだろうか?

バンコクより診断でした。