2013年1月5日土曜日

カウントダウン

グズグズしている間に、2013年を迎えてしまった。
何かしなくてはと思いながら、畳の上を行ったり来たり、祖母からヨッちゃんオヂヅケと叱られた。
真夜中2時に目が覚めて、さて、すっかり目が冴えて、とにかくとりとめもない計画をノートに書き散らして、それがあたかも大事であるかのように溜息をつき、物差しで長い長い線を何ページにも渡って書き上げて、気が付けば外は靄、地面はシンと雪一色、現実とは厳粛な夢である。
年中、皆はそれぞれに勝手に、泣いたり、喚いたり、貧しさに喘いだり、あまりの幸せに、担田あたりが痒くなり、グラグラ、ゆらゆら、誰も人のことなど本気で考える余裕もなく、道端でガス欠の私のトヨタを尻目に、皆が帰途を急ぎ、アクセルを強く踏み込み、たまに奇矯な思いでパッシングを浴びせ、時にサディスティックにクラクションを浴びせ、気が付けば冷たい雨に生暖かい涙が交じり、あああんな思いは二度としたくないと臆病になるわけであるが、さあ、年末だ年始だと皆が集まるにつけ、妙なくすぐったい感動というか期待感というか、バラ色の夢らしきものがあまく香りだし、どんなに絶望しても、来年も生きて行きましょうねと、毎年同じことを繰り返しているが、そのリピートを超える絶望がいつかそれを止める日もくるのだろうか?
私たちは、21世紀という、未来の世界にいきているが、この世界では、人間の内面や、日常、交友、交際を簡単に記録し、公開することのできるシステムが幾つか整っており、まあ、そういう意味での進歩は遂げており、火星におりたったり、海王星を旅したり、車が地面を浮いて走ったり、小さくなって血管の中を泳ぐまでには今日までに至らなかったが、人間の生活、個人の立体性をここまで知ることができたのは、大いなる人類の足踏みというべきであろう。
あの彼女の、長いつけまつ毛、青痣のようなシャドー、高い背の、手に収まるようなか細い腰の、20才を過ぎたばかりのそのため息に、人類の進歩は、謎を謎として留めず、私は、その赤いビロードのオルゴールの箱の奥にある、そのまた奥底の澄んだセセラギニ、か細く聞こえる途切れ途切れの詩吟。ああ、そうであったのか、そんなことがあったのか、そういうことに耐えていたのか、それを健気に待っていたのか、と、そこまで知ると恐ろしくなり、長く佇み覗き込んだ深い深い井戸のふたを厳かにしめ、振り返ると、あら、どうしたの? あなた、ひどい汗をかいているわ?と無邪気に笑うので、私は深く彼女を抱きしめ、耳を熱い吐息が包み、気が付けば54321、2013年の鐘の音。