2011年1月3日月曜日

色々と・・・

紅白は、家に人を呼んで、バーベキューをした。我が家の猫の
額ほどの庭も、車を表に出すと結構なスペースがあり、そこで
夜半まで、紅白をつけつつ、年の明けるのを待ったわけである。

夜の9時になると、ついにお目当ての桑田啓祐が登場したわけ
であるが、なんでしょうか。選んだ曲が面白くないこともあったが
なんでしょうか。人間は病に勝てないのである。この人は、たしか
お姉さんもガンで亡くなっており、ガンには人一倍気をつけていて
人間ドックなんか年に何回もいっていたのじゃないかしら?
そこまでしても、やはり初期のガンが発見されて、治療に専念
して、驚異的な回復力とか言われて、紅白の舞台の裏では
主治医が待機していたとか・・・人類はガン撲滅に全力を尽くす
べきではないのか?小学校から、保健体育にかわり、医療の
時間を設け、小さい時から、全ての人が医療に馴染むように
すべきであろう。そうしないと、数年先には看護婦なんか成り手
いなくなっちゃうよ。

そもそも、ガンにしてもエイズにしても、医薬品、医療品器具の
世界では、とんでもない、経済効果をもたらしているに違いない。
語弊はあるが、ガンやエイズで飯食っている人もいるわけだ。

しかしながら、やはり、これらの病気は悲壮である。人の体を
食い尽くす。ガンにならない人がいる筈である。そういう組織
があるはずである。例えば、心臓や、髪の毛や爪や横隔膜
はガンにならない。そういう 組織に独特の特徴があるはずで
ここのあたりを早く解明しなくてはならない。

しかし、そうして生かされた人間が、今度は調子に乗って、
戦争したり、街中でテロしたり、電車の運転で誤って、
脱線させたりと、防ぎきれないことはまた非常に多く、
今日は、福知山の脱線事故のところを見ていたが、どうも
思うのであるが、日本人はやばいぞと。電車の遅れを許せ
ない、停止線からずれて電車を止めることを許さない、
そういう風に、日本人がお互いを首絞めながら、呼吸も
出来ないようにした結果、狂った人間を何人も生み出して
いないか?

2年前にドイツに行った時、ケルンからフランクフルト行きの
急行にのったわけであるが、折からの雨で、ライン河の
橋の上で、止まってしまい、少しも動かない。何のアナウンス
もない。こちらは、バンコク行きの飛行機に乗り遅れそうに
なっており、大変慌ててしまったが、みんなゆったりしている。
1時間近い遅れの後、列車は走り出した。そして、遅れた
証明書を皆に配りだした。

バンコク行きの飛行機には何とか間に合ったが、飛行機に
乗ってみると、周りに、同じ列車にのってのんびりと、談笑
していた紳士淑女が何人も見受けられた。
日本人のように、どんなにいらいらと気を使い、ミスしない
ように時間に遅れないように、頑張っていてもJAL123の
飛行機事故は、世界的にもまれに見る大惨事だし、
その昔も、数百人単位での電車事故が何回も起こっている。
日本人は、気の緩みによる失敗が怖くて仕方がない民族だ。
ところが、緩んだ後の、自然体を見につけていないので、
信じられない、事故を起こしてしまう。

洞爺湖丸の事故にもびっくりした。船が一隻だけ沈んだのか
と思ったら、一度に4隻沈んでいるのだ。全く、気象に対する
認識が甘い時代であったのかもしれないが、大惨事に、
先進国も発展途上国もないのである。

2011年1月2日日曜日

自給自足とは

最近、診断君は中南米のインカやらマヤやらの文明に凝っていて、
時間が出来るとYoutubeなどで情報を漁っているわけである。
会社でこんな僻地の文化に興味など持っているのが分かると、
”そうか、君はそこに興味があるのか”等と、下手したら、会社
立ち上げのメンバーに入れられかねない。サラリーマンでは
知的好奇心活動は、家でこっそりするしかない。

あんな河もない密林だらけのジャングルの中でマヤ文明が栄えた
というので、印象的にはかなり強烈な生贄、間引きそういうものが
横行したのではという、野蛮人に対する偏見的なものもあったので
あるが、どっこい彼らの完成されたシステムの中にあって、文明が
スペインに滅ぼされるまで2000年も栄えたことは大変感慨深い。

何より、石灰を使って漆喰を作り、それで地面を舗装することに
よって、雨水をある決まった高低差の貯水池に運び、それを3段階
のPriorityで貯水するような方法で、無駄な水を出さないなどという
方法は、正に、棒読みのエコロジーよりも遥かに完成されており、
なかなか、恐縮である。

石灰を未だ硬い玉蜀黍と一緒に煮ると、玉蜀黍が柔らかくなるという
くだりも非常に興味深かった。

マヤというのは、いくつかの国に別れ、お互いが非常に緩いネット
ワークで結ばれた、分散国家の文明であったが、お互いの争いの
方法を一定のルールで行っていたのは実に面白い。曰く、小国と
小国の戦争は、日時の指定された日に、上層の人間同士のみで
行われ、最終的に相手を徹底的に滅ぼしつくすとか、奴隷にする
とかそういうことは決してなかった。あくまでも戦争という行為を
社会のシステムとして容認しており、殺傷力の弱い武器で戦った
のである。

こんなことをしていたから、スペインに攻め込まれた時に、人口の
2割に減るまでに負けてしまったのだろうが、少なくとも2000年は
このようなシステムを保ったわけである。

たとえば、今の世界で、核兵器を使うのはもう止めよう。撤廃だ。
と約束をして、南極かどこかで、年に1回モデルガンや、ゴム弾で
戦争ごっこをしましょう、なんていうことになるのだろうか?
すると、海王星人か何かが攻めて来た時に、まるで勝てません
などという人類のペーソスを味わうのだろうか?

しかし、生贄はやはり色々とやっていて、非常に深い洞窟の底に
ある湖には、沢山の生前に傷をつけられた、殺されたと思われる死骸が
発見されているのである。番組では、これが雨乞いの生贄であると言って
いたが、上記のような完成された統制の中での国家は、当然
の如く、厳しい法律による統治が必要とされたわけであるから、
彼らは、みせしめとしての死刑囚ではなかったのではないか?
そうでなければ、頭の皮とか剥ぐだろうか?

天文観測に優れ、焼畑農業で2000年を過ごしたのである。
そこには、人間のあらゆる悪性を抑制する、冷徹な国家の意思
が働かなければならなかったであろう。自給自足とか自己完結
とかいう考え方は、そう簡単に実現できるものでなく、まして
日本人のように、必ず外国に資源を求めて出て行った歴史をもつ
民族には、理解しがたい仕組みと言えるであろう。

新年あけましておMでとうございます。

新年あけましておMでとうございます。

本年Mよろしくお願いいたします。

今年は飛躍したいもんです。皆様のご声援、お叱りを

糧にがんばりMあーす。