2010年4月13日火曜日

さわやかな一日

タイ情勢は混乱を極めていますが、昨日はバンコクの郊外に
さわやかなメンバー4名で、ハイキングに行ってきました。

3月、4月は、タイが最も暑くなる季節で、こんな日にハイキング
はどうかという外部の意見もありましたが、それはさわやかな
メンバーのこと、全員一致で、決行しました。

朝、山小屋に行きますと、結露した淡い焦げ茶の瓶が数本
目に入りました。そのそばに氷の入ったコップの光の乱射と、
斜めにさした朝日が紆余曲折し、目にまぶしかった。
さわやかですね、朝から? 昨日もハイキングですか?
もう今日で3日目です。診断君は、この連休中今日しか
ハイキングを入れていない自分を恥ずかしく思いました。

ああ、この人たちの前では、自分のさわやかさなど、Bマイナス
くらいだ。心の中で密かに格付けしておきました。しかし、
そういう行為そのものが、また自分のさわやかさを貶める
ことだと思うと、鳥肌がたちました。

アユタヤからきた、比較的新しいさわやかさんが予定の時刻
ぎりぎりに到着しましたが、我々は、さわやかに出迎えました。
”すみません、遅れてしまって、大丈夫ですか?”
”大丈夫に決まっています。何を心配されているのですか?
我々は、あなたを待っている間も、大変さわやかな時間をすごし
ました、むしろその時間を延長してくださったあなたに、感謝しなく
てはなりません。それにしてもさわやかなピンクのウエアですね?”
そう言って、師匠は、テーブルの上に並べられたアメリカンブレック
ファーストを指差しました。

前のタイ人が出て少しして、我々の番になりました。
山、林、川、谷、砂漠、見るものすべてがさわやかで、みなが、
そうした自然を愛でながら、あっとか、ワーとか、感動の声を
あげているわけです。そうして、ところどころで集まりながら、
お互いが遭遇した自然の摂理について語り合います。
”このペースでいくと、今日は自分がもっともさわやかだね”
”いやいや、これから挽回しますよ。”
みなが、古代オリンピックの競技者のように、淡々と、さわやかに
競技に打ち込む姿。そして、現地の黄色い服をきたガイド。
時として、ガイドが不満で、怒る人がいますが、さわやかな
我々は、ガイドからみても、得がたい貴重なさわやかな顧客
だったと思います。彼女らはたぶん語っていることでしょう。
あんなにさわやかなメンバーなら、何度でもガイドがしたい。
逆ブッキングできないもんかしら?ある者は、自分の旦那と
比べ、ある者は、自分の恋人とくらべ、ある者は自分の
父と比べ、そのさわやかさを堪能したことだと思います。

時に、こうした会では、すねたり、傷ついたり、人を不快な気分に
したり、自分の世界に入ってしまって、誰よりも先に山に登って
旗をたてたり、勝手なルールを作って、参加者にいらぬ気を
使わせたりする人がおりますが、さわやかな我々に、そうした
脱落者は一人としておらず、最後まで無事にハイクできた
ことを、うれしく思います。

あちこちのグループが、大きな声で自然に向かって叫んでいます。
山びこがあちこちにこだましています。みな、自然の中で叫ぶ
ことで、自然とのさわやかな融合を目指しているのでしょう。
気がつくと、師匠が、大きなツバメともカモメともつかない鳥と
じゃれていました。”どうしたんですか?師匠??”
”なんといいましょうか、私は彼らの巣に何をしたというわけでも
ないのに、私に近づいてくるのです。”
”それは師匠があまりにさわやか過ぎるからですよ・・鳥も思わず
種の壁を忘れてしまうのでしょう。”
嫉妬とも、羨望ともつかぬミントの味が私の口に広がりました。

師匠が私の影を指差して、
”ほら、これが赤道直下の影ですよ。日本では絶対にみられ
ないものですよ。”
その影は私の足元で私の足の周りを控えめに包んでいました。
そして、私は思い出しました。
ああ、師匠も、もう少しで日本に帰ってしまうのです。
そうして、日本のもっと長くどんより延びた自分の姿そのものの影を
みて暮らすのです。

師匠のいないバンコクで、自分はどこまでさわやかに
生きれるのでしょうか?そう煩悶していますと、
”空を見てください、影は別々でも、太陽なしに影は出来ません。
その太陽は、どこにいてもひとつしかありませんよ”
そう言い諭す、師匠の白い歯は大変涼しげでした。
私は、その歯がアイスキャンディーに見えて、きっとあの歯の
中には、”当り”の刻印が入っているんだろうと溜息をつきました。


今日も師匠は、どこかでハイキングにいそしんでいるのでしょうか?
きっとそこには、どこよりもさわやかな笑い声が満ち溢れていることでしょう。

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