2010年8月5日木曜日

親離れのできない子へ(現代親子論)

いつまでも、親無しでは何も判断できない子供には困ります。
いつまでも、未来へのストーリーを子供に見せられない、親にも困ります。
親の表情を伺い、親の書いた白線を外れるとブザーがなります。
ところがその白線はループを描き、同じところに戻ってきてしまいます。

そういう親と子が入れ替わり、行ったりきたり、なんの進歩もありません。
そういう親子は親子としてはいいでしょうが、親子関係だけで完結して
おいて欲しい物です。何度となく、白線を引き間違えた親を諭すのも
子の愛であり、勇気でしょう。それがその子のさらにまた下の子に
受継がれて、子孫は相続していくのです。それが許されなければ、
相続は絶えていきます。

また、子の過ちは親の責任ですが、子を売る親もおります。子に向かって
土下座してこい! こういう親もあります。

子に、自らの過ちを押しつけ、自らは密かにつまみ食いを続ける、そういう
親子もあります。子供は早く病気になってしまいます。

時として親と子は、一緒にスポーツをします。子が親に勝つこともあるでしょう。
子はいつか知ることになります。あの時親は本当に悔しかったのだ、と。

この子供は何をさせても上手にこなすので、気がつけば親に便利に使われ
貧乏くじをひきます。この扱い方を親はよくわかっています。

自分は随分リベラルな親だといいながら、リベラルな白線だらけの
親もまた困ります。こういう親に限って、子に逆ギレされるのを密かに
恐れ、臆病です。突拍子もないことで、子に謝ったりします。

一方で子は大事です。自分の子に土はつけたくないし、何もできないと
見下されるのはさけたいものです。

親は時に、直下の子がうっとうしくなり、孫を可愛がったりします。しかし
何にせよ、子も、孫も親の弱点を見出しやすいので、いずれうっとうしく
なります。そしてその時、その親の真の実力が問われるのでしょう。

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