2016年11月27日日曜日



2016年2月23日火曜日

ああ

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2015年1月22日木曜日

髪の毛

久々のブログ投稿である。
昨年、全く投稿していないのだ。FBのお蔭で、ブログの存在感が薄れてきた。

もともとだらだらと長い文書を書く方である。

メールなども長い長い。長い文書を書いて、CCに無関係な人間まで入れて会社内メール
サーバーに披歴し、相手をぎゃふんと言わせたい、そういう嫌な男である。

説教も嫌になるくらい長い。長い、長い、本当に嫌な奴だ。相手のいいところ0まで貶める
自信がある。ただ、インド人やスイス人には怒っているという姿を強調するのに
精いっぱいであり、相手から見て、随分野蛮な非論理的なアジア人に写っている筈だ。
こういうことから、民族間の誤解、対立が生まれ、テロや戦争に発展するのだろう。
勉強になる。

嫌な奴だ。いつからこんなだ?

高校生までは、自分も割と見れる男だ、という自負があったのである。少なくともそこまでは、
心に一片のガラスの居城を持っていて、誰よりも自分は清く美しいなどという自我にのぼせ、
神の視点から、周りの人類を一瞬で断罪したものだ。

ところが大学に入り、某映画サークルに入り、家が埼玉に引っ越したので、八王子に通うのが
きつくなり、多摩市に下宿した瞬間から、崩壊した。あの美しい青年の日々が。

今日こそは、ホカホカ弁当を食べたり、自炊をしたりして、夜も早く寝て授業にでようと誓うの
である。ところが寝ようと電気を消した瞬間、アパートの1階の手すりのないベランダに、
スクーターや、自動車のヘッドランプの影。そしてドアではなく、居室側の窓を何度となく
たたかれ、主体性のない診断君は、彼らと長い夜を過ごすのである。

すでに夕食を食べているにも関わらず、フォルクス、長崎ちゃんぽん、王将、色とりどりの
外食産業。24時間、コーヒーお替り自由のデニーズで朝方まで過ごし、シメはドリア。
更に、帰宅後の食料の調達にも余念なく、吉野屋によりお持ち帰りをメットインタクト。

そうして4年、毎年恒例のサークルの行事 芋煮 、奥多摩の河原で酒を飲んで川に
飛び込むという、大馬鹿行事の際の誰かが撮った写真を見た時に気が付いた。デブ。
そして髪が薄くなり始めている。

気が付いたのだ、自分が醜くなっていることに。そういえば、大学に入った時は、寝癖が
非常に気になっていて、いつもお湯で濡れたタオルで癖を直すのに30分はかけていたのだ。
ところが、最近の朝は妙にスムースだ。頭より櫛の方が、毛が豊かであった。

そして就職、1年でタイに赴任。先輩にお前髪薄くねえ?と言われながら、20年が過ぎた。

そんなに悩んできたわけではない。上司がやはり禿であったが、ええかっこしい でゴルフ
場で目撃したのだが、残り少ない髪をうまいことボリューム感を演出し、まとめるのだ。
あれには感心した。波平のメンタリティだ。但し、傍で見てたら、ぎろりと睨まれた。
あんなものマジマジと見たから、前の会社を辞める羽目になった。

本当に、そんなに深刻に考えていたのではないのだ。それだけは分かってほしい。願望と
してどうであろう。髪が、もっとあればいいな?くらいの感傷である。もっとスポーツマンに
うまれればよかったなとか、几帳面な人間になりたいな とか、もっと守銭奴になりたいな
とか、そういう、淡い願望である。ニヒルである。

日本では、Reup タイではロゲインという育毛薬を去年、少し試した。でそれで定期的に
頭頂部の写真を撮った。やはり、それなりに地面が見えており、森林伐採の環境破壊を
目の当たりにしたわけである。とはいえ、この20年あまり症状が進行していないという思いも
診断君にはあり、ある時期、スキンヘッドにしようと決意するほどの局面には至らなかった。

気休めにこのロゲインのミノキシジル5%をかけていたが、劇的な効果は見られなかった。
ところがある日、ロゲインの5%がどこの店にもなくて、仕方なくそのジェネリックみたいな、
nuhair5 とかいうタイ製の薬を使ったところ、頭頂部は熱帯雨林、朝起きると、あの懐かしい
寝癖がよみがえっているではないか? そういう効果を発見したのは、この2週間ほどであるが、
早速、数本を買いだめ、最終的にはロンゲにして少し染めようかと考えている今日この頃である。

ちなみに、写真の奥に見えるのは養命酒。



2013年8月5日月曜日

2013年8月1日木曜日

映画鑑賞

 タイに来て、めっきり映画を見なくなった。映画館で見たとしても、基本英語にタイ語字幕という奴で見るのである。最近は贅沢になり、プラチナシートとか、ハネムーンシートとかそういう、一組1000バーツ(役3000円)以上する席で見ているが、普通の席でなら100バーツ(約300円)と非常に安い。いつも思うのは、映画館が結構ガラガラなことである。どこに行ってもすぐに席がとれるし、なんか非常に人気がないような気がするのは診断君の気のせいであろうか?その割に、映画館は、豪華であるが。
 
 ともあれ、非常に座り心地の良い席のお蔭で、リクライニングしたまま寝てしまうこともしばしば。目の前で、地球が滅亡しかかろうが、ブルースウイリスが転覆した船の底で溺れかかっていようが、スパイダーマンのマスクがどれだけ破けようが、どれだけ残酷な殺人が行われ、どれだけ遠い宇宙を旅していいようと、どんな寄生虫が主人公に宿り、必死で吐き出そうとしていたとしても、寝るときは寝る、鼾もかく、涎も垂らす、寝言、歯ぎしりエトセトラ。ましてシリアスな内容重視のものや、社会派サスペンス、恋愛ものなどは最初から観るのを諦めている。

 診断君もタイに来て、随分と落ちたものだ。かつて、大学の文学部国文学科を卒業し、卒業論文は太宰治であった。(その研究で有名な渡部先生からAを貰ったのであった。5年目ではあったが!)映画サークルでも、もっとも熱心な部員であった。なけなしのバイトのお金で、誰よりも早く、ハイファイ(ワイファイではありません)ビデオデッキを購入、サークル部員と休みの日には、4本から5本のビデオをレンタルし、鑑賞に次ぐ鑑賞、議論に花を咲かせ、さあ腹が減ったなと、デニーズ、吉野屋、マクド、王将、長崎ちゃんポンと、外食評論にも花が咲いたものである。お蔭で、その頃から後天性若年メタボ障害を発症した。

 いや、とにかく、診断君は、よい映画というものを見なくなった。本も読まなくなった。ただひたすら、金もうけにいそしみ、本当にストーリーというものを摂取しなくなった。あえて読んでいるのは、自分の書いたこの診断君ブログだけになっちゃった。

 最近、先輩に再会して、そろそろまた、映画を色々と見漁ろうとは思っているのである。

 今日のこの文書は、そういう映画ネタのハシリのところであるから、あまり深くは書かないが、結局のところ、診断君は、黒澤明が好きである。その中でも、「天国と地獄」「赤ひげ」であろうか?

 結構診断君は、涙もろい方で、どうでもいい時に何故か涙が出てきて困ってしまうことがある。そういう時には、あ、ちょっとドアライアイ....とか言って、軽く目をぬぐうが、本当に感動した映画については、そういう涙ではない。なんというか、肩で泣いてしまう。嗚咽を堪えるというか、そういうこみ上げてくるものを、医学的にどう説明するだろうか?

 なんか、何に悔しいんだか、何を怒ってんだか、ひどくこみ上げてくるものがあって、反面ちょっとしたナルシズムすら感じる、人の作った作り物の話に、ここまでなるものかと、更にため息をつく、そういう映画は、やはり、どうしても自分の好きな映画とせざるを得ないが、しかしその一方で、そうちょくちょく見るのは、疲れてしまう部分もある。 「赤ひげ」は正にそういう映画で、一家心中で死にかけている子供を助けるために、養生所の女たちが、暗い井戸に向かって、力の限りその名前を呼び出すシーンは、愚かしくも、哀れで、何度見ても、一瞬自分を失いそうな、自律神経の喪失を感じるものである。

 診断君の父親はすでにこの世に無いが、よく診断君と、その妹、診断子を連れて映画を見に行ったものである。彼は高校教師であったので、観る映画も高尚なものが多く、何故子供を連れていくか不明なものが多かった。また、そういう映画を見に行き、必ず彼は鼾をかきだし、全体の95%は全く観ていない筈であるが、時代考証どうであるとか、○○の演技は今一と評論しているのは子供心に滑稽であった。

 ある日、古代エジプト王朝の映画を見に行ったところ、彼は、最初の宣伝あたりから就寝、我々子供二人にとっても退屈な内容なので、おしゃべりをしていたところ、傍に、書生風のザンギリ頭の若い兄ちゃんが、「静かにしろよ。君たち」と我々を叱ったのである。すると、我らが鼾親父がむっくと起き上がり、「お前こそ黙ってろ!」と一喝。書生風はどこか他の席に逃げてしまい、鼾親父は、また夢の世界に戻って、鼾をかきだした。

 まったく、いい思い出ひとつない、嫌な親父であったが、この時の記憶は鮮烈で、この時だけは、父親の有難さを思い出し、親の愛情も、彼のファニーな一面も、あの映画館の暗闇の一瞬に全て集約されて、診断君の心に刻まれているのである。

2013年7月28日日曜日

酒に飲まれる

 大学のサークルの先輩で、その時は既に大学院に居られたY先輩は吉祥寺の酒屋の跡継ぎで、酒屋と言っても大きな問屋みたいな感じで、ちゃんとしたビルがあり、配送車も何台も並んでおり、一角の規模のお店であった。
 
 年末になると、サークル部員がそこに集まり、毎年のように忘年会を執り行った。これでもかといういい酒が並び、アテは持ち込みもありの、出前の寿司などもとり、カラオケは今も忘れない、JVCのレーザーディスクに負けてしまった、その頃でもちょっと珍しくなったシステムではあったが、これで夜通し歌ったものである。(確かレコード見たいのが箱に入っていたと思う。)

 映画を鑑賞し、作り、語り合い議論する、文科系のサークルであったが、どう考えても、思い出の7割が、酒の記憶である。よく酒を飲むと、記憶がなくなるとかいうが、酒を飲んだ記憶しかないというのはどういう訳であろうか?

 樽酒というものを、その時飲んだが、あの樽を開けた表面に浮かぶ酒粕、それをよけて升につぐ限りなく澄んだ液体、あれはうまかった。なんという銘柄かは忘れたが、米がここまで澄んだ飲み物を作り出すものなのか?と感動した覚えがある。

 なんにせよ、その頃も大学生が新入歓迎コンパなどで、急性アルコール中毒などで死亡することもあったので、すでにうるさい時代ではあったが、それでも、先輩、後輩の関係は強く、とにもかくにも、飲め、飲め、吐きそうなら、吐いてから飲めと、狂ったように飲んだ記憶がある。同級生に、子供の頃から、喘息の奴がいたが、彼など、よくこの忘年会で死ななかったものである。

 飲み、歌い、騒ぎ、吐き、気を失い、目が覚めると、1月の2日なんてことは何度もあった。目が覚めると、開催場所のオーナーである先輩が、ニコニコと温かい何かを食べさせてくれたか、飲ませてくれた覚えがある。酒を巡る鉄の掟と、年が明けた後の覚醒、癒し、汚れた体で、吉祥寺から、多摩の下宿まで帰る時の、浦島太郎みたいな、実社会への違和感。 ああ全ては20年以上も前の出来事なのである。

 酒は高校の時から飲んでいたし、教室の後ろの方で化学の時間にファンタと宝焼酎を混ぜて飲んで、(その先生が若く、甘かった。)放課後に、酔っ払って泡消火器を倒し、教室を泡だらけにしたこともあった。柔道部の友人H君と、今はもう連絡の取れない親友のT君と焼酎、ビール、電気ブラン??をもって、豊島園に行き、飲んだ状態で、バイキングやら、ねじれながら1回転するジェットコースターにのり、鼻水なのか、吐物なのか、涎なのかわからない液体が体を包みながら、気を失ったりして、まあ、今思うと凄まじいが、酒で記憶がなくなっているというよりは、今もまだ鮮明な思い出である。

 大学に入って、皆に言われたのは、君は酒を飲んでも顔色ひとつ変わらないなということであったが、果たして、これがいいことかどうかは、ともかく、限界まで酒を飲むという環境は、大学に入って更にエスカレートしたことは事実である。

 会社でも、酒というものはついて回っているが、40の手前あたりから、肝脂肪で引っかかるようになり、そんな引っかかり方をすると、飲むたびに肝臓が悲鳴を上げているような気がして、酒飲みのお客さんに、おいどうしたと言われ、最近肝臓の調子が悪いんですよと左の鳩尾をさすると、おい肝臓は右だ、もっと飲め!という具合に、ますますブレーキが利かなくなり、今日に至る次第である。

 酒に飲まれる、診断君はそういう人を沢山見てきた。酒を飲んだがために、翌日は会社にこない、酒を飲んだがために、羽目を外し、常識を逸脱したことをしてしまう、警察の厄介になる、酒を飲んで記憶を失う、飲んでない時でも、失っていく、酒を少しもおいしそうに飲まないのに、酒がなくてはいられない、酒、酒、酒、本当に、こいつには、随分と助けられているが、随分とこれにやられちゃっている人が多いのも事実だ。津波も、洪水も、人間を構成する物質も命も水のなせる業だとしたら、人間の歓喜も、狂気も、人生を快調に滑らせることも、その人の能力を発揮できない障害になることも、全て、酒のなせる業である。

 この年になって、酒のキャリアもつみ、味も分かってきたように思うが、人は年をとればとるほど、苦みをおいしいと感じるようになるという。確かににそうだ。成功体験のある人間は、多分、苦みをおいしいと感じることができる人なのではないか?その酒の苦みの後にくる、眠気や、混濁を求めて酒をのんでいる訳ではないはずである。診断君は、飲み始めの苦みをうまいと感じる、そういう酒飲みでいつまでもいたいと思うのである。

2013年7月23日火曜日

タイ人という名の美徳

ここに、一枚の絵がある。誰が書いたか分からないが、私はこの絵を眺めるたびに、タイ人という名の美徳を感じ、見入ってしまう。

 人にものをあげる、人からものを貰う、そういう事が、ごく日常的に行われている国なのだ。人の世話になる、人の世話をする、そういう事が、彼らの文化の根底で、ともすれば脱線しがちな猥雑な人種、階級、貧富、職業という混乱を一点で繋ぎ止めているのだ。そして、その授受するべき、財産なり食糧なり資材は豊かである。そうでなくても、食うに困らない国に、日本はどんどん投資しているのである。タイ人は、貰い方もうまい。そしてうまいことその財産を運用する。税金払わない、支払い遅い、誰もそれを駄目とは言わない。空港を閉鎖しても、デパートを燃やしても、罰されないのだから、仕方がない。

 私は20年、タイでこうして働いてきたが、彼らはは本当にポーカーフェースである。物をあげた時は人懐こい顔で喜ぶが、自身の利害を損ねる状況では、徹底的な抵抗をする。当たり前ではあるが、こんな事象を当たり前として捉えるには、随分と時間がかかった。我々は、動物なのであるから、能動的になんでもやるのも当たり前ではあるが、ただ一点、仏教にすがり、その一点を大事に、皆が秩序を持って国が成り立ってきたのであろうか? 私が言いたいのは、タイ人の持つ、底無しの強さだ。彼らをなめてはいけないということである。上の絵のような生活を今も基本のところで続けているのである。足元がぐらぐらしている日本人とは強さが違うのだ。

 今いる会社、外資系の会社がゆえに、色々と管理上の脇の甘さもあって、いくつかの不正がのさばっているようで、ある意味前の会社の上司より酷い状態(彼は少なくとも、ある時期まで、拡販の邪魔はしなかった。)になり、長くいるタイ人が会社を私物化してやりたい放題、これを診断君も随分と頑張っては見たが、なかなか立場上これ以上の肩入れも出来ず、そうこうしている間に、古巣では、異常に安い材料、表面処理の価格を、上得意先だけではなく、その2次、3次サプライヤまでばらまくというヤケクソ戦法に出ており、(よく許可がおりたものだ) とてもではないが、プライドの高い欧州企業が、これに合わせる筈もなく、そろそろ私も、この会社は潮時かと思う次第である。恐らく、高硬度表面処理業界は、これからもっともっと、安売りに励み、熱処理と一緒で、世界で最も処理賃の安い国を目指すのであろう。

 本当に、こんな愚かな夢のない状況にいつまでも付き合っている訳には行かない。前の上司と一緒で、ここでもいつか、その不正が明るみに出るのであろう。要は誰も、本当に問題が明るみに出るまで、手を下さない。これだけ工場長が入れ替わっては、本来異常と考えて然るべきであるが、その一点にあまりリスクマネージメントは入らないようだ。節穴だらけである。数字しか見ていないのだから、仕方なかろう。

 このタイの表面処理業界は、本当の個人の技を要する硬質クロムは別として、価格だけのつまらない業界に成り下がりつつある。我々が売り歩く、新しい技術に耳を輝かせて聞いてくれた、タイ人たちは、もうすでに偉くなっている。そして、今行っても、価格の話しか出ないということだろうか?

 いずれにしても、自浄能力のない会社は滅びるのみ、それが日系であれ、欧州系であれ、営業の会社であれ、技術の会社であれ。 ここは、ある意味、技術の終着駅であろうか?タイ人という名の美徳の元に、我々はどれだけ躍らせれているのだろうか? 日本からどんどん中小企業が進出してきているが、正直勝算があるとは思われない。