2011年3月16日水曜日

津波

診断君は東京都練馬桜台の生まれ。子供の頃から、西武池袋線の
轍を聞いて育った。その親といえば、秋田からのお上りさんであるが
親父と、母親は今言うところの、熟年離婚というのを6年前にやらかし母が
埼玉の家を手に入れ、父は秋田の先祖代々の家に引き下がった。
子から勘当をいい渡され、今頃憔悴の晩年を送っているのではないか?

その父の姉さんというのは、今回地震にあった福島県郡山に住んでいる。
安否は不明だ。地震がなくてもそもそも疎遠であったので不明である。

日本の耐震建築はやはり凄いといわざるを得ない。あれだけの揺れを
もってしても倒壊する建物はなかった。直下型地震ではないとは言え、
母の話では、今まで体験したことのない揺れ云々。築25年の木造建築
も十分この揺れに耐えたという。

しかし、津波はその上をいっている。こいつはやはりとてつもない。
かつてプーケットでも、津波の凄さというものを感じたが、日本はなにより
あんなプーケットより人口が密集している。そして、山に囲まれて、大きな
受け口となっている。南三陸という町は、本当に津波の為に最新の
防護をしていたにも関わらず、あっさりとその進入を許し、人口の半分が
行方不明という、正に津波に蹂躙された町となってしまった。

まず地震の予知ということから言えば、もうこれは何年もやっているが、
養毛、育毛よりも進歩がない。
しかし、昨今これだけ、衛星写真というものが発達している現在、深海の
岩盤まで見通し、そのわずかな動きを捉えるようなことは出来ないのか?
今のスパイ衛星は、道を歩くお姉さんの胸元の隙間からみえるブラの
刺繍の色やら、黒子やらまで見えるというではないか?技術の使い
道を間違っていないだろうか?

それよりなにより、津波である。津波というものは発生した時点で、
比較的高さは低く、そのかわり時速が800kmにもなるという。それが
浜辺に向かうと向かうほど速度が遅くなり、そのために後の波が
前の波に追いつき、より巨大となり、大きな威力を伴うらしい。
なるほどそれで、よく津波がハワイを越えて、西海岸に到達したり
して、大きな被害を与えることがあるが、途中で船をなぎ倒したり、
することはない。大洋の真ん中では、津波はタダの速度の早い
波浪に過ぎない。だから、アメリカの空母も安心して、三陸沖に
いるのだろう。

昭和初期の三陸海岸の津波では、沖合いで漁をしていた小さな
小船は、全く津波の被害を受けず、岸に近づいたら、陸のほうから
被災した死体やら、船やら、物やらが流れて、初めて津波の被害に
気がついたという。つまり、津波は、岸辺の浅瀬の、狭い入り江に
入って初めて、猛威を振るうものらしい。

三陸海岸は、何度も津波の被害を受けているので、堤防などが
しっかりしていたらしいが、津波はそれを越えて陸に上ってきた。
診断君は思うのであるが、もっと波が低い、しかし、速度が速い時点
の沖合いで方向を変えることは不可能なのだろうか?早いはなしが
沖合いから20km、50kmと離れたところに堤防があったほうが、津波を
防ぐことができないか?こういう考え方はないのだろうか?

そんなところは深くて、堤防なんか無理無理という考えもあるのだろうが
建設会社も仕事がない仕事がないと談合にふけるのではなく、こういう
壮大な規模の津波よけを建設するという意気込みはないのか?
耐震建設は十分OKだし。とりあえず三陸海岸あたりに、長い浮遊式の
堤防をつくってはいかがか?深さ20kmのイカリで海底面から鎖を立てれば
海底の揺れも観測可能である。

それにしてもこれだけの人がなくなってしまった。その張本人の津波は
いずこに、靄と共に、跡形もなく去っていく。恐るべきは自然の成せる
未必の故意である。犠牲者のご冥福をお祈りします。

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