2011年12月27日火曜日

タナシティ③ 副題 加藤茶結婚!

ある異性に盲従するということが、人生の一時期にはあるものかと思う。それは相手が年上であれ、年下であれ、ありうる関係であろう。かくいう診断君も、そういう関係をいくつか経験し、だんだんと悟った一言がある。”引く”ということだ。押して駄目なら引いてみな・・・という言葉にもあるように、こういう盲従している自分に気がついた時に、もっとも有効な治療は引くことであろう。なにより、こちらが欲しがっているものの持ち主は、こちらが欲しがっているという明確な動機を抑えているので、求めてくる相手が滑稽で仕方がないに違いない。それほど性悪でない人間でも、相手に対してこのようなアドバンテージをつかんでいれば、じわりじわりと、相手を操る楽しみというものに眩暈を覚えるのだろう。

ましてそういうことが重なってくれば、それはますます、歪んだ駆け引きが日常となり、そんな手練手管が板につけば、賢い人なら、やり方によれば、お金に結ぶつくことを覚えるに違いない。

Pさんもそういう人なのだろう。もともとある百貨店の外商をしていたわけであるが、美人で、日本語タイ語を操り、特にその日本語が微妙に殿方の自尊心を擽るちょっとしたたどたどしさ、自分より年上の地位のある男性を次々と、篭絡し、操り、金を引き出し、どこまでも逞しく、見た目は危なっかしく、着実に資産を築いた尊敬すべき人物である。

タイに20年いるが、駐在員、出張者、どれだけの人間がこの地で、タイ女性に騙され、捨てられ帰っていったものだろうか?しかし騙されたという表現はある意味正確ではない。大部分の男性が盲従し、相手に見えるスキはすべて見せ、信用している信頼している、気がつけば愛している、恋している、もう分かれたくない、ところが色々と思い通りにならないことに悶々とし、お金もそこそこ使い、ある時目が覚めた時には、愛想を付かされ、逃げられた、捨てられたというのが本当のところではないか?なにしろ、そういう相手は、色々と怪しい点もあり、お兄さんが部屋に来るから部屋では会えないの、お父さんが病気なの、でもあなたにこんなこと、はいこれが口座番号、送金した翌日に赤ナンバーの新車に乗り出しても、なにしろ盲従しようとして相手にアプローチしているのであるから仕方がないではないか?

本当にタイ人というのは、ポーカーフェース、であるなと思うのである。それと非常に自我が強く育てられている。日本であれば、失礼ながら、容姿とか、体重とか、運動神経とか、そういう面で学校教育の段階から、かなり自我をずたずたにするような教育がメインではないか?しかしタイ人はどなたも随分自信家である。どうしてあそこまで自信がもてるのかわからないが、見ていて頼もしく、あえて差別発言をすれば、容姿も悪く、デブで、そんな人間でも、ピンと自我で立っている。あれはいつも関心する。誰もその自尊心を犯そうとはしない。陰口は叩くだろうが・・・日本人はこういうのが非常に弱いし、社会が学校の延長で、テレビで平気でそういう単純な人間への評価基準をそのまま使っていくので、この人はこういう人、こういうタイプ、こうであるべき人という世界でしか話が進まない。この点において日本人はタイ人より劣ってると言えよう。だからその弱さをつかれて、盲従となるのである。

かくいう診断君も色々な盲従を経験してきたが、なによりその盲従の中で、相手が子宮ガンであることがわかり、上記のように恋している、愛している、といった手前、退き引きならず、随分な治療費を負担し、最後には彼女が亡くなってしまったのであるが、涙もでず、騙されたというのは相手が胸のうちでベロを出していい思いをしながら、逃げていくことと定義すれば、自分のそれは最後には死んでしまったのだから、騙されたと言えるのだろうかと自問するがよくわからず、そのことを整理もできず、数年後にその娘の友人にあったときに、”あんたはとんでもなく優しい日本人だと皆に語り継がれたのよ。”などと褒められ、よくよく考えてみると、自分は自分と関わった人間が死んでいくことに耐えられず、とにかく癌と戦う疑似体験の中で、ありとあらゆる文献に目をとおし、それはそれで随分やりがいもあり、バナナの皮、味をつけない野菜スープ、アガリスク、ローヤルゼリー、癌に効くものはなんでもかんでも、検査で3cmもあったというガンが小さくなったと聞いた時は、何か非常にうれしく、今思うとあれは、癌との闘いというところに主があったようにも思うのである。

話は戻るが、盲従は好んでやっていることなので、やれ騙された、被害総額いくらとか、そういうのもみっともないような気がするのである。しかし騙した相手が、いい夢見れたでしょ?などとどや顔するのも、これまた見苦しく、お前一体ナンボの人間よと言ってやりたくなる。

しかし、本当に、それを狙って、相手を騙し、まんまと金から命から奪い取り、関わる相手に次々と、それはもうみっともない会社への背任行為までやらせてしまったのがPさんである。それに加担した人間は、これはもう人に言わせれば、立派な人間、会社の役員(何にも力はないが)、立派のついでに、愛人をもつことを覚え、如何にして自分の金を使わず、Pさんに貢ぐかのアイデアをつむぎだし、見事にそれを実行に移した人物、しかも、そこに万年独身の部下をはめ込み、結婚を斡旋するに至っては、なるほど、それであれば、人もPとの愛人関係から目を逸らすだろうと計算につぐ計算、謀略につぐ謀略、しかしながらやればやるほど、目立つ老醜、これをこと細かく、面白おかしく語ろうというのが次回からである。

2011年12月12日月曜日

タナシティ② 副題 オリンパスどうしちゃったんだ?

会社というものは不思議なもので、側近とか、腹心とかいう人たちは、社長の近くにいて神経すり減らし、宮仕えの苦労を味わっているが、ちょっとそこから離れ、地方の営業所の所長とか、海外法人の社長とか、そういう人は、言ってしまえば、そこの王様、定期的に本社である会議さえこなし、数字さえ出していれば、トップは信用するもんである。トップの知らないことなどに詳しい、たとえばある技術に詳しかったりすれば、これは、もうその立場磐石という他ない。

株式を公開している会社であれば、それでもそんなに自由は効かないだろうが、非上場の会社であれば会社の内情の評価はすべて、社長なりその一族がするのであるから、おのずとそれは、偏った見方になるのもこれはこれで仕方のないことである。まあ銀行に借金があれば別だが・・・

当然、非上場を保てる会社、オーナー会社の場合、すべての利益は一族に帰属するような仕組みになるであろうから、そうでない人間は、’けっ いくら頑張っても、俺様の行き着くところは決まっていらあ’などと、会社の金で得意先の接待と称しカレーうどんでヤケ酒を食らうぐらいのささやかな復讐しか思いつかないが、お上から遠ければ、遠いほど、琵琶湖から、富士山のあたりまで来れば、もはや分かるわけはないと、親族に会社を作らせ、そこに利益をのせながら、あたかも知らない出入りの業者とばかりに仕事を出し、堂々と私腹を肥やすようなやり手も現れるのも仕方のないことなら、知ってか知らぬか、何のお咎めもなく、ただ年齢が近いからと信頼し、下からの声など無視する様、これもまた会社の仕方のない未来への布石と見て、仕方がなかろう。

まして海外、飛行機で6時間もかかるところでは、これは最早20年以上もそこの長などさせていては、逆に会社を乗っ取らなかっただけ、有難い有難いと少しのことに目をつむるのも仕方がないことかと思うのである。

いわく、会社に命をささげて働くということは、やはり最終的に自分のために、会社を騙し騙し働かないと、最後に、馬鹿を見るのは、正直者となるが、何より、盲目の寵愛を受けているものの悪行を、会社の中で何を言っても、無駄、無理、むらが出るのは、これも仕方がない。

簡単に言えば、部下は直属の上司のことを、その上司の上の上司よりもよく知っているということである。それはそうであろう。多かれ少なかれ、人は目上の人の前で、猫を被る。その猫の傘の下は、上の人間から見える筈がない。しかし、部下の実力を知っているのも直属の上司である。従って、この2者は、高度な取引関係の中の暗黙の了解で、微妙なバランスの中で、いつ果てることもない、{会社のために}というゲームを続けられるところまで、続けていく。

しかし、その駆け引きに気づかない人は、いつか会社が直属の上司なのか、直属の上司が会社なのかが分からなくなり、下手をすれば、それがために、不思議な最期を遂げたりしてしまうこともある。まずは合掌。