前略 T専務様
この度は、専務職をご退任されたとのこと、大変お疲れ様でございました。長い間の重責、多忙なる日々を思いますと、頭が下がります。小職は専務より20歳も年下で、会社に入ってから、専務にサラリーマンのイロハを教わりました。それこそ、甘い辛いから、明るい暗い、表裏善悪、色即是空まで。本当にお世話になった方が、こうして一線を退かれるかと思いますと、寂しい思いで一杯になります。一筆書かせてください。
専務のおつきになられていた、熱処理事業部長というのは重要な役職であったと、今更ながら感心しております。なにしろ、T社を始めとする大手自動車メーカーが金型をどのように熱処理し、どのように表面処理するか?それを導き、提案し、世界各地にある熱処理センターを統括していくという、こういうことは並の努力では出来ますまい。椅子に座ってうたた寝して連休の遊びの計画ばかり立てている重役が多い中で、専務は常に現場に先陣を切っておられた。入荷出荷の金型を自ら検品し、熱処理歪を矯正し、工員と汗をかきながらジグ付けをされた。そんな専務のお姿を見て、どれだけ心強く思ったかお判りでしょうか?そういう方と一緒に17年もやっていたことを誇りに思っております。
まあ、ゴルフに関しては、折角専務に教えて頂きましたが、私は本当に落ちこぼれ、未だに100切るか切らないかと寂しい状況です。専務のゴルフへの思い入れは、仕事中に抜けてプレイするくらいの熱心さで、我々も仕事が忙しく、生半可な気持ちでやっていましたので、随分怒られたものです。お客さんに、「それ入れたら、友達なくすで」と言われたオリンピック四階建てのパットを、専務が動じもせずカップに沈めて、危うく大口受注を逃すところだったことも、私の部下が別の日に同じようにそういうパットを入れようとして一言「それ入れたら転勤や」と圧力をかけ、実際に入れたところ、本当に転勤対象になったという、今思えば、公私混同の暗い情熱も、専務のゴルフに対する愛と、仕事に対する生半可な気持ちが成せる業だったのでしょうか?こんなことは誰にも真似ができない。ここまでのゴルフ好きは見たことがない。
女性についても、随分と教えられました。タイに来た頃は、タニヤという歓楽街に会社のお金で、いつも連れていかれました。遊びというのは、自腹を切るもんじゃないんや!ああ、今でもそれが真似できない自分を歯がゆく思います。それを極限まで実践されたのが、タイの御愛人のコンドミニアムを、次々と駐在員の社宅とし愛人への小遣い節約、自らも出張旅費を節約するために出張時はその愛人所有のコンドに宿をとり、会社の資材と会社の従業員で、御愛人のコーヒーショップのベランダを作らせ、挙句の果てに独身貴族の部下を彼女の本夫に仕立て、会社を辞めさせるという荒技は、最早誰にも思いつくところではなく、(しかもこの方は、若くして亡くなってしまわれた!)私も会社を辞める時にプレゼンテーションまで作ってこのことを総務部長に説明をしたものの、あの聖人君子のTさんがそんなことするわけはないと一笑に付されました。こりゃ敵わない。確かにこんなこと誰も信じるわけない!逆らった私が馬鹿だった!
今振り返ると、サラリーマンとして成功する秘訣をいつも背中で教えられてきたのに、それが実践できずに辞めてしまったことは、返す返すも、惜しいことをしたと思うし、自分が情けない。
このように華麗なる専務のご経歴ですが、最近ちょっと気になることを耳にしましたので、この場を持ってお聞きしたい。
まさかとは思いますが、何かとんでもない不正が発覚して、それでお辞めになるのではないですよね?まさかそんなどんくさいことはしないですよね?しかも、それは、もしかして、以前私に、「熱処理屋がなんで加工の仕事もするんや?加工はもうやりたくないんや」 と言って、名古屋に飛ばされようとされましたが、つまりは、御自分とお仲間の利益に支障が出るからなんて、そんな理由で起こった転勤話ではないでしょうね? 私が色々な方面から入ってくる情報では、どうもそんな話なんですが、専務がそんなへまをやっているとは思えませんが、如何ですか? ご返信くれませんか?違うと分かれば、急いで、勘違いしている外部の方々に訂正をいれたい。
タイ人の辞めた営業マン個人の会社に表面処理価格の、法外な値引きをしているようですが、これも、専務のお仕事ではありませんよね?あれなら、工場から直接買うより、彼から買った方が安いようですが???いや、そんなせこいことに、専務は絡みませんよね?やるとしたらもっと大きな悪事の筈だ。
夜も更けてきました。久々のブログで疲れが出てきました。お返事をお待ちしております。 お気を悪くされないで下さい。不正はどこにでもあるようです。専務ほど巧妙なのは、聞いたことがありませんが..........
診断君は、タイで、ニッチなニーズに応えます。 Shindan Conssumationに関するお問い合わせは、081-979-8577カゴヤまで(日本人です。)または、shindanthai@gmail.com ご連絡ください。
2013年1月21日月曜日
KOI AI
恋に狂うとは、ことばが重複している。恋とはすでに狂気なのだ。
―― ハイネ シェイクスピアの女たち
やっぱり、診断君は、さっぱり分からない。愛がわからないとか、恋が分からないというのではなくて、人が、古人が、偉い作家が、愛と恋をどう使い分けているのかさっぱりわからないのだ。
恋も愛も、英語で引けばLOVEなんである。であるから、ハイネの言葉は可笑しくないか?同じ言葉をどう使い分けると、すでに狂気になるのだ。ハイネよ。
日本語で、愛と恋は、どこか微妙に使い分けている筈である。
診断君の常識範囲で言えば、愛とは客観的な表現に重きをおいており恋愛感情の発生後の持続的な確認という役割をもっているが、恋とは自己の内的な現象の表現に重きを置いており、まだそれほど熟成されていない初期の状態を表現しているのではと思う。また、それに伴う、衝動や人にいえない自分の感情の移り変わりも抱合していると思われる。
そもそも、愛とは、非常に広範囲で用いられる概念ではないか?
何か無形のものの繋がりに対して、その大きな理由付けに愛という言葉は用いられる。
地球とか、世界とかから始まって、国、年、学校、歌手、犬、家族、子供、親、祖父母、人間、すべてを愛という言葉でひとくくりにしている。そして、長年一緒にいる夫婦、恋人、すべてに及んで、時々、数ヶ月に一回くらい、愛しているんだよね、愛しているわよ、当たり前じゃない。とそんな当たり前のことを愛という言葉で終わらせているが、実はもっと複雑な説明すると何冊かのノートを費やしそうな内容も、何せ愛という言葉で行き止まりである。ウイキペディアで見ても、愛の説明は非常に少ないし、複数の問題があるらしい。それはそうだ。愛は便利だ。なんにでも使用できる言葉だ。
みんな、何の脈絡もなくそれぞれの親の元に生まれ、それを、共通の共感で結ぶには、愛とは便利な、無意味な言葉である。
お前にも子供がいるだろう。お前が殺したSにも子供がいたんだ。
だから、何だ?
だから、自分の子供を愛する感情はみな同じだ。その親を殺したお前がどれだけのことをしたかわかるか?だからもう馬鹿なことは辞めろ。
この説得の中央にあるのは、ウイキペディアでも複数の問題ありの(愛)である。
地球を恋しましょうとか、お父さんを恋してる、とか、子供を恋しているなんて言わないはずである。この言葉は、もっとデリケートに扱っているはずだ。それは行動を伴う本当の恋愛感情につながる言葉であるからだろうか?大体、こんな使い分けをわれわれは誰からも教わっていない筈だ。だけど、自然に使い分けている。英語辞書を引くと、どちらもLOVEである。大好きな姉ちゃんも、ニューヨークも、チーズバーガーも、LOVEである。何じゃこれは??
以下は辞書から引用である。
>『三省堂国語辞典』 第6版の「恋愛」は「恋」および「愛」を総合した定義である。同書では、まず>「恋」は「〔男女の間で〕好きで、会いたい、いつまでも そばにいたいと思う、満たされない気持ち(を持つこと)」、「愛」は「1.損得ぬきで 相手につくそうとする気持ち」「2.〔男女の間で〕好きで、たいせつに思う気持ち」と定義する。そして、「恋愛」は両者を合同した形で、「〔男女の間で〕 恋(コイ)をして、相手をたいせつに思う気持ち(をもつこと)」としている。
なるほど。恋愛という大きな言葉があり、恋と愛をそこから分けていくというオーガニゼーションはなんとなく正しいような気がする。大切に思う気持ち、このあたりが恋愛のコアな部分であるのであろうか?さすが辞書である。しかし、大切にしようとする気持ちを愛の定義とするのであれば、男女に絞る必要はないのではないか?だからこそ、愛という言葉は色々なところで使うことができるのであるから。満たされない気持ちを恋の定義としているところは、すばらしい。好きだ。会いたい。一緒にいたい。もっと知りたい。そして相手と自分の温度差からくる不満、満たされない気持ち。
若干の手直しは必要であるが、三省堂、なかなかやるね。
ここで、ハイネよ。恋は狂気か??
>また独自の記述で知られる『新明解国語辞典』第5版では、「特定の異性に特別の愛情を いだき、高揚した気分で、二人だけで一緒にいたい、精神的な一体感を分かち合いたい、できるなら肉体的な一体感も得たいと願いながら、常にはかなえられな いで、やるせない思いに駆られたり、まれにかなえられて歓喜したりする状態に身を置くこと。」と表現した。この記述では性愛の 側面を重視しており、また一方的な片思いでも恋愛は成り立つと解釈できる。第6版では、「特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔いないと思い込むよ うな愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとで も疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと。」と改訂され、性愛についての記述は削除された。
性愛、ああ、これを辞書が扱うことはこれはこれで、ユニークではあるが、我々はここで考えなくてはならない。三省堂の表現は綺麗には見えるが、対象を大切に思う気持ち、これは非常に正解と感じる。しかし、愛ではなく、恋は、ある面で、一方的な感情になる側面を持っている。それは新明解でいうところの一方的な片思いでも恋愛は成り立つであるが、それはある意味、相手を征服したいという感情に行き着く場合があるのではないか?恋愛感情の落ち着きどころには個人差があり、必ずしも、性愛を主体とはしていない。やはり相手を大切にしたいという部分がコアである。ところが我が物にしたいという気持ちもまた存在し、これを愛と呼べないこともあったりして、ここが非常に複雑である。
相手を大切にするということは、例えば、相手を思いやる気持ちというものが優先する筈であるが、ここで性愛という面を語ると、お互いに大きな温度差がある場合が多いのではないか?まず基本的に、診断君の知っている男性という生き物は非常に性欲が強い。性欲が薄い奴にあったことがない。で、彼女が出来て、毎日一緒に暮らして、恋愛とは相手を大切にすることであるという前提があって、でもかくかくしかじか、性欲という物理的現象が愛とは無縁のところで発生して、最後に相手に罵倒されて、あんた、そのことしか考えてないでしょ?と叱られる。
えてしがな、みてしがな、とかく恋愛感情は、まあ機からみたらみっともない。しかもひとつ間違えると征服欲となりかねない。そういう、不安定な状態。そういうどう転ぶか分からない状態。ちょっとみっともなくて、CMにも出来ない、危ないもの。恋愛感情は歌にするのがやはり望ましい。あんなみっともないことは歌でなければ、語れない。
思うに新明解の定義は、かなり狭義の恋愛である。恋愛のオーガニゼーションを語らないのも気に入らない。
このほか、『新潮現代国語辞典』などの辞典も異性間、男女間の関係や感情を恋愛と定義づけており、総じて国語辞典では異性愛を前提とした記述がされている。同性愛を「恋愛」と定義づけた記述は見られない。
同性愛を愛の範疇に入れることができない??辞書とはなんであろうか?語れないことは無理にかたるべきではなかろう。
恋愛
人間の生命に無くてはならない、しかしなくても生きていける、無形のしかしながら人間は有形にしたがる、感情。恋と愛に分かれる。しかし欧米人はLOVEしかないので日本人独特の感情表記ともいえる。
愛
対象を大切にしようとする気持ち。信仰より広く、好感より重い。
R指定のない表現であり、家族、人類、子供、大人、老人、チーズバーガー、ニューヨーク、他に用いられる。恋というひとつの感情衝動に比べ、安定しており、常にそれの存在を確認する会話が行われる。会話中、作文、公共広告機構のCM、子供との会話、夫婦の会話(当たり前でしょうという付属語が多い。)、ロック歌手の雄たけび、など用途は多様だ。危険な思いをした時に思い出される場合も多い。
形容詞としての採用も多い。
恋
内的に発生する、異性、あるいは同姓に対する、相手を知りたい、相手を大切にしようという気持ちを前提にもった非常に不安定な感情。相手との感情の温度差のために、大変不安定であり、そしてなおかつ危険な結果を招く側面を持っている。愛として、安定した状況に到達する場合もあれば、性愛のみとか、征服欲とか、ひどい時には、相手をチーズバーガーにして食べてしまうという例も過去に多発している。それらは、恋として発生したあと、その人の行動規範によって様々な形に変わっていくものである。そして、対象の前では、この感情はなるべく悟られないようにするのが、相手に感情を征服されない、奥義である。ハイネは狂気と表現したが、狂気にもなりうる感情であるが、理性との狭間で煩悶している人も多いので、狂気のみでは底が浅い。
というわけで、大いに愛と恋を語った診断君ブログであるが、個人的には、
いちゃいちゃしたいが、べたべたは嫌、というごく普通の恋愛感を診断君は持っている。
―― ハイネ シェイクスピアの女たち
やっぱり、診断君は、さっぱり分からない。愛がわからないとか、恋が分からないというのではなくて、人が、古人が、偉い作家が、愛と恋をどう使い分けているのかさっぱりわからないのだ。
恋も愛も、英語で引けばLOVEなんである。であるから、ハイネの言葉は可笑しくないか?同じ言葉をどう使い分けると、すでに狂気になるのだ。ハイネよ。
日本語で、愛と恋は、どこか微妙に使い分けている筈である。
診断君の常識範囲で言えば、愛とは客観的な表現に重きをおいており恋愛感情の発生後の持続的な確認という役割をもっているが、恋とは自己の内的な現象の表現に重きを置いており、まだそれほど熟成されていない初期の状態を表現しているのではと思う。また、それに伴う、衝動や人にいえない自分の感情の移り変わりも抱合していると思われる。
そもそも、愛とは、非常に広範囲で用いられる概念ではないか?
何か無形のものの繋がりに対して、その大きな理由付けに愛という言葉は用いられる。
地球とか、世界とかから始まって、国、年、学校、歌手、犬、家族、子供、親、祖父母、人間、すべてを愛という言葉でひとくくりにしている。そして、長年一緒にいる夫婦、恋人、すべてに及んで、時々、数ヶ月に一回くらい、愛しているんだよね、愛しているわよ、当たり前じゃない。とそんな当たり前のことを愛という言葉で終わらせているが、実はもっと複雑な説明すると何冊かのノートを費やしそうな内容も、何せ愛という言葉で行き止まりである。ウイキペディアで見ても、愛の説明は非常に少ないし、複数の問題があるらしい。それはそうだ。愛は便利だ。なんにでも使用できる言葉だ。
みんな、何の脈絡もなくそれぞれの親の元に生まれ、それを、共通の共感で結ぶには、愛とは便利な、無意味な言葉である。
お前にも子供がいるだろう。お前が殺したSにも子供がいたんだ。
だから、何だ?
だから、自分の子供を愛する感情はみな同じだ。その親を殺したお前がどれだけのことをしたかわかるか?だからもう馬鹿なことは辞めろ。
この説得の中央にあるのは、ウイキペディアでも複数の問題ありの(愛)である。
地球を恋しましょうとか、お父さんを恋してる、とか、子供を恋しているなんて言わないはずである。この言葉は、もっとデリケートに扱っているはずだ。それは行動を伴う本当の恋愛感情につながる言葉であるからだろうか?大体、こんな使い分けをわれわれは誰からも教わっていない筈だ。だけど、自然に使い分けている。英語辞書を引くと、どちらもLOVEである。大好きな姉ちゃんも、ニューヨークも、チーズバーガーも、LOVEである。何じゃこれは??
以下は辞書から引用である。
>『三省堂国語辞典』 第6版の「恋愛」は「恋」および「愛」を総合した定義である。同書では、まず>「恋」は「〔男女の間で〕好きで、会いたい、いつまでも そばにいたいと思う、満たされない気持ち(を持つこと)」、「愛」は「1.損得ぬきで 相手につくそうとする気持ち」「2.〔男女の間で〕好きで、たいせつに思う気持ち」と定義する。そして、「恋愛」は両者を合同した形で、「〔男女の間で〕 恋(コイ)をして、相手をたいせつに思う気持ち(をもつこと)」としている。
なるほど。恋愛という大きな言葉があり、恋と愛をそこから分けていくというオーガニゼーションはなんとなく正しいような気がする。大切に思う気持ち、このあたりが恋愛のコアな部分であるのであろうか?さすが辞書である。しかし、大切にしようとする気持ちを愛の定義とするのであれば、男女に絞る必要はないのではないか?だからこそ、愛という言葉は色々なところで使うことができるのであるから。満たされない気持ちを恋の定義としているところは、すばらしい。好きだ。会いたい。一緒にいたい。もっと知りたい。そして相手と自分の温度差からくる不満、満たされない気持ち。
若干の手直しは必要であるが、三省堂、なかなかやるね。
ここで、ハイネよ。恋は狂気か??
>また独自の記述で知られる『新明解国語辞典』第5版では、「特定の異性に特別の愛情を いだき、高揚した気分で、二人だけで一緒にいたい、精神的な一体感を分かち合いたい、できるなら肉体的な一体感も得たいと願いながら、常にはかなえられな いで、やるせない思いに駆られたり、まれにかなえられて歓喜したりする状態に身を置くこと。」と表現した。この記述では性愛の 側面を重視しており、また一方的な片思いでも恋愛は成り立つと解釈できる。第6版では、「特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔いないと思い込むよ うな愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとで も疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと。」と改訂され、性愛についての記述は削除された。
性愛、ああ、これを辞書が扱うことはこれはこれで、ユニークではあるが、我々はここで考えなくてはならない。三省堂の表現は綺麗には見えるが、対象を大切に思う気持ち、これは非常に正解と感じる。しかし、愛ではなく、恋は、ある面で、一方的な感情になる側面を持っている。それは新明解でいうところの一方的な片思いでも恋愛は成り立つであるが、それはある意味、相手を征服したいという感情に行き着く場合があるのではないか?恋愛感情の落ち着きどころには個人差があり、必ずしも、性愛を主体とはしていない。やはり相手を大切にしたいという部分がコアである。ところが我が物にしたいという気持ちもまた存在し、これを愛と呼べないこともあったりして、ここが非常に複雑である。
相手を大切にするということは、例えば、相手を思いやる気持ちというものが優先する筈であるが、ここで性愛という面を語ると、お互いに大きな温度差がある場合が多いのではないか?まず基本的に、診断君の知っている男性という生き物は非常に性欲が強い。性欲が薄い奴にあったことがない。で、彼女が出来て、毎日一緒に暮らして、恋愛とは相手を大切にすることであるという前提があって、でもかくかくしかじか、性欲という物理的現象が愛とは無縁のところで発生して、最後に相手に罵倒されて、あんた、そのことしか考えてないでしょ?と叱られる。
えてしがな、みてしがな、とかく恋愛感情は、まあ機からみたらみっともない。しかもひとつ間違えると征服欲となりかねない。そういう、不安定な状態。そういうどう転ぶか分からない状態。ちょっとみっともなくて、CMにも出来ない、危ないもの。恋愛感情は歌にするのがやはり望ましい。あんなみっともないことは歌でなければ、語れない。
思うに新明解の定義は、かなり狭義の恋愛である。恋愛のオーガニゼーションを語らないのも気に入らない。
このほか、『新潮現代国語辞典』などの辞典も異性間、男女間の関係や感情を恋愛と定義づけており、総じて国語辞典では異性愛を前提とした記述がされている。同性愛を「恋愛」と定義づけた記述は見られない。
同性愛を愛の範疇に入れることができない??辞書とはなんであろうか?語れないことは無理にかたるべきではなかろう。
恋愛
人間の生命に無くてはならない、しかしなくても生きていける、無形のしかしながら人間は有形にしたがる、感情。恋と愛に分かれる。しかし欧米人はLOVEしかないので日本人独特の感情表記ともいえる。
愛
対象を大切にしようとする気持ち。信仰より広く、好感より重い。
R指定のない表現であり、家族、人類、子供、大人、老人、チーズバーガー、ニューヨーク、他に用いられる。恋というひとつの感情衝動に比べ、安定しており、常にそれの存在を確認する会話が行われる。会話中、作文、公共広告機構のCM、子供との会話、夫婦の会話(当たり前でしょうという付属語が多い。)、ロック歌手の雄たけび、など用途は多様だ。危険な思いをした時に思い出される場合も多い。
形容詞としての採用も多い。
恋
内的に発生する、異性、あるいは同姓に対する、相手を知りたい、相手を大切にしようという気持ちを前提にもった非常に不安定な感情。相手との感情の温度差のために、大変不安定であり、そしてなおかつ危険な結果を招く側面を持っている。愛として、安定した状況に到達する場合もあれば、性愛のみとか、征服欲とか、ひどい時には、相手をチーズバーガーにして食べてしまうという例も過去に多発している。それらは、恋として発生したあと、その人の行動規範によって様々な形に変わっていくものである。そして、対象の前では、この感情はなるべく悟られないようにするのが、相手に感情を征服されない、奥義である。ハイネは狂気と表現したが、狂気にもなりうる感情であるが、理性との狭間で煩悶している人も多いので、狂気のみでは底が浅い。
というわけで、大いに愛と恋を語った診断君ブログであるが、個人的には、
いちゃいちゃしたいが、べたべたは嫌、というごく普通の恋愛感を診断君は持っている。
2013年1月6日日曜日
験を担ぐ
2013年というのは、どうにも落ち着きの悪い年だ。この数字の何が悪いのか分からないが、結局のところ、診断君は偶数が嫌いなのだ。
診断君は4月6日生まれだが、こんな時は必ず、このふたつの数字を足してみる。すると、10になる。この数字を更に足すと1なので、奇数でOKということになる。TG728という便があっても一緒である。まず全部足すと17でそれを更に足すと、8になってしまう。この便は辞めようということになる。
機から見て、そうしたプロセスを分からないようにしているが、これを診断君は必ずといっていいほど行っている。ゴルフ場で、ロッカーの鍵を貰っても一緒である。92というキーを貰えば、おーこれは俺のベストスコアだなと喜ぶところであるが、上記プロセスを辿ると、2になってしまう。これでは、喜ぶどころか、悪いことばかり考え、心に霧がかかる。
女性の誕生日など、非常に重要な要素だ。何故、うちの奴と相性が悪いのか考えたところ、10月10日という誕生日は、最後に偶数になる数字なのだ。どおりでうまくいかないわけである。
こんなことを言っていると、何もしないうちから、ゲンを担いで、努力もしない云々と叱られるのだろうが、何もしないうちが、まずは重要であり、そこに数字という記号がある限り、まずは診断君は、そこから入って行ってしまうのである。
話戻って2013年であるが、最後に6になるわけで、嫌な年という事になる。
こうした験を担ぐ人というのは、ちょっと検索してみると、日本人の26%くらいの人々になるものらしい。7400万人の日本人は験を担がないのか?診断君には驚異の数字だ。で、験を担ぐ人がどういうことをするのかであるが、そもそも験を担ぐのは、何かうまくいったことがあって、その時のことを踏襲するという意味で辞書には書いてあるが、診断君にとっては、大体、そんなに凄い成功体験を験によって達成した覚えは全くないので、それよりもむしろ、これから取り組むことについて、失敗しないためのルールのようなものと解釈している。一体、人間は成功した時に、その前日の行動、はいていたパンツ、朝御飯、生理用品の商品名、髭は電気で沿ったか、クリームでそったかなどを検証したしかる後に験を担ぐものだろうか?
とはいえ、7400万人の人は、偶然与えられた数字にまつわる、鍵とか、相手とか、乗り物とか、そういうものを全く気にしないとは、驚きである。
以下に無断転載であるページに載っていた(日経)験を担ぐという例を並べて、診断君の感想を添えてみる。
結局のところ、験を担ぐというのは、これから起こることの不確実性に、一定の行動ルールを当てはめて、それを遵守すること。あるいは、もしそれをしなかった時に、しまった、あの時ああだったからなあと臍をかむ為の一定基準ということが言えるだろうか?
7400万人の験を担がない人はどうなのだろうか?いい事も、悪いこともすべて、起こるべきして起こり、努力の結果であるというのであろうか?
験を担ぐことと、宗教信仰を混乱しているのであるから、そういうこともありうるのかもしれない。
診断君は4月6日生まれだが、こんな時は必ず、このふたつの数字を足してみる。すると、10になる。この数字を更に足すと1なので、奇数でOKということになる。TG728という便があっても一緒である。まず全部足すと17でそれを更に足すと、8になってしまう。この便は辞めようということになる。
機から見て、そうしたプロセスを分からないようにしているが、これを診断君は必ずといっていいほど行っている。ゴルフ場で、ロッカーの鍵を貰っても一緒である。92というキーを貰えば、おーこれは俺のベストスコアだなと喜ぶところであるが、上記プロセスを辿ると、2になってしまう。これでは、喜ぶどころか、悪いことばかり考え、心に霧がかかる。
女性の誕生日など、非常に重要な要素だ。何故、うちの奴と相性が悪いのか考えたところ、10月10日という誕生日は、最後に偶数になる数字なのだ。どおりでうまくいかないわけである。
こんなことを言っていると、何もしないうちから、ゲンを担いで、努力もしない云々と叱られるのだろうが、何もしないうちが、まずは重要であり、そこに数字という記号がある限り、まずは診断君は、そこから入って行ってしまうのである。
話戻って2013年であるが、最後に6になるわけで、嫌な年という事になる。
こうした験を担ぐ人というのは、ちょっと検索してみると、日本人の26%くらいの人々になるものらしい。7400万人の日本人は験を担がないのか?診断君には驚異の数字だ。で、験を担ぐ人がどういうことをするのかであるが、そもそも験を担ぐのは、何かうまくいったことがあって、その時のことを踏襲するという意味で辞書には書いてあるが、診断君にとっては、大体、そんなに凄い成功体験を験によって達成した覚えは全くないので、それよりもむしろ、これから取り組むことについて、失敗しないためのルールのようなものと解釈している。一体、人間は成功した時に、その前日の行動、はいていたパンツ、朝御飯、生理用品の商品名、髭は電気で沿ったか、クリームでそったかなどを検証したしかる後に験を担ぐものだろうか?
とはいえ、7400万人の人は、偶然与えられた数字にまつわる、鍵とか、相手とか、乗り物とか、そういうものを全く気にしないとは、驚きである。
以下に無断転載であるページに載っていた(日経)験を担ぐという例を並べて、診断君の感想を添えてみる。
- 当日の占いのラッキーカラー・アイテムを身に着けて出かける
>>ありえない。色で験を担ぐのは分からない。女の子に多いのだろうか? - 水晶を手に持って気持ちを落ち着かせる
>>水晶を持っていないのでなんともいえないがやってみてもいいかも知れない。 - 訪問先のビルのトイレに入ってから訪問する
>>以前、お客さんのトイレで大をすると、新規がとれるというジンクスを使っていたが、そうなかなか、お客さんのトイレが綺麗ということはない。 - 朝起きてすぐラジオ体操第1を3回繰り返す
>>これは手間のかかる験だ。験のための験という人生である。 - 契約サインをもらう専用のペンを持っておく
>>しそうで、しない?契約をする時には、全てが決まっており、何故そこで験を担ぐのかわからない。 - 「人」の字を手のひらに3回書いてなめる
>>汚い。なめた後の手が臭い。 - 前日の夜にカツ丼を食べる
診断君の場合、納豆卵がけご飯がこれにあたる。これは非常によく分かる。大事な日の前に食べるものは重要だ。間違ってもマクドナルドなど食べない。食べるとしたら、ノーマルバーガーであり、バンズとハンバーガーで足して3である。カツ丼は切り数に注意したい。偶数であることを発見した時の気持ちは最悪だ。 - 前日は絶対に爪を切らない
>>夜に爪を切るなとか言いますね。診断君は、いつも問題が幾重にも重なる時には、髪の毛と、爪に注目している。これを伸ばしたままにしておくと、何故か問題は更に増加していくので。前髪は切る必要がないが。 - ゴムのしっかりしたパンツをはく
腹が腹だけに緩むことはない!(なんか自虐ネタが続きむかつく。) - 好きな色の下着を着ける
???? - 大事なことの前日はセックス(マスターベーションも含む)しない
このことは、非常に重要なことであるから、行を割くが、やはりメンタリティとして、真面目に何とかこのことを成功させようとしている時に、こうした性行為を行うことで、己の心金が曲がる、緩む、崩れるという思いは、正直ながらあるのであるが、しかし何かの本で読んだが、人間は、命の危険を感じれば感じるほど、こうしたことをしたくなる生き物であり、生命の防衛反応がこんな時ではありますが、子孫を残すために、ガンバレと拍車をかけるのであろう。映画でもそうであるが、007なんか、あれだけ死にそうな目にあっても結局一緒に逃げているパートナーと最後は船の上でそれでは...なんてことになるわけで、経験上で行ってもなんか疲れれれば使えるほど、気分は絶好調に盛り上がっていることも多く、逆に女性は疲れに素直で、古代から、男性は明日死ぬかもしれないという一発を(女性読者には失礼、これ以外の表現が見つかりません)歴史の上で何度も経験しているのであるから、やっぱりこの験はおかしいということであるが、これは日本人の独特の言霊信仰とも由来して、なんか大事な日の前にそんなことしてたら神様が見てて(見てる神様も神様だが)バチかぶるん違う??というところもあるのではないか?
とにかく、女性は、疲れた、死にそうだ、明日は大勝負だなどと言っている男には近づかないほうが無難であろう。 - すべて右から始める。靴下も右から。靴も右から。袖を通すのも右から
- 利き手、利き足で行動を開始する
>>上記二つ、分かります、分かりますが、右利きなら右から始めるんじゃないの? - 朝風呂に入る
>>これは受験の時にしました。一浪しましたが。 - 仏壇に手を合わせる
>>これはもう、験を担ぐというか、信仰ではないか?日本人に験を担ぐと見えることは、タイにおいては信仰である。ちょっと日本人、無宗教すぎて寂しい。 - 朝、お茶に梅干しを入れて飲む
>>焼酎には入れますが。二日酔いしません。 - 隣の神社にお参りしてから出かける。
>>これも仏壇と一緒で、何か悲しい。これは験担ぎではない。 - 決めてある勝負服を着て気合を入れる
>>なんとなく分かります。同じワイシャツですが、若干のローテがある。 - 栄養ドリンクを飲む
>>理解できます。
.......ちょっと日経、底が浅い記事なんですが??験担ぎ、たぶんもっと凄いのがある筈である。
- 試験前に爪を切らない
- 朝起きたらすぐにラジオ体操をする
- 塩を盛る
- お茶を飲まない
結局のところ、験を担ぐというのは、これから起こることの不確実性に、一定の行動ルールを当てはめて、それを遵守すること。あるいは、もしそれをしなかった時に、しまった、あの時ああだったからなあと臍をかむ為の一定基準ということが言えるだろうか?
7400万人の験を担がない人はどうなのだろうか?いい事も、悪いこともすべて、起こるべきして起こり、努力の結果であるというのであろうか?
験を担ぐことと、宗教信仰を混乱しているのであるから、そういうこともありうるのかもしれない。
2013年1月5日土曜日
カウントダウン
グズグズしている間に、2013年を迎えてしまった。
何かしなくてはと思いながら、畳の上を行ったり来たり、祖母からヨッちゃんオヂヅケと叱られた。
真夜中2時に目が覚めて、さて、すっかり目が冴えて、とにかくとりとめもない計画をノートに書き散らして、それがあたかも大事であるかのように溜息をつき、物差しで長い長い線を何ページにも渡って書き上げて、気が付けば外は靄、地面はシンと雪一色、現実とは厳粛な夢である。
年中、皆はそれぞれに勝手に、泣いたり、喚いたり、貧しさに喘いだり、あまりの幸せに、担田あたりが痒くなり、グラグラ、ゆらゆら、誰も人のことなど本気で考える余裕もなく、道端でガス欠の私のトヨタを尻目に、皆が帰途を急ぎ、アクセルを強く踏み込み、たまに奇矯な思いでパッシングを浴びせ、時にサディスティックにクラクションを浴びせ、気が付けば冷たい雨に生暖かい涙が交じり、あああんな思いは二度としたくないと臆病になるわけであるが、さあ、年末だ年始だと皆が集まるにつけ、妙なくすぐったい感動というか期待感というか、バラ色の夢らしきものがあまく香りだし、どんなに絶望しても、来年も生きて行きましょうねと、毎年同じことを繰り返しているが、そのリピートを超える絶望がいつかそれを止める日もくるのだろうか?
私たちは、21世紀という、未来の世界にいきているが、この世界では、人間の内面や、日常、交友、交際を簡単に記録し、公開することのできるシステムが幾つか整っており、まあ、そういう意味での進歩は遂げており、火星におりたったり、海王星を旅したり、車が地面を浮いて走ったり、小さくなって血管の中を泳ぐまでには今日までに至らなかったが、人間の生活、個人の立体性をここまで知ることができたのは、大いなる人類の足踏みというべきであろう。
あの彼女の、長いつけまつ毛、青痣のようなシャドー、高い背の、手に収まるようなか細い腰の、20才を過ぎたばかりのそのため息に、人類の進歩は、謎を謎として留めず、私は、その赤いビロードのオルゴールの箱の奥にある、そのまた奥底の澄んだセセラギニ、か細く聞こえる途切れ途切れの詩吟。ああ、そうであったのか、そんなことがあったのか、そういうことに耐えていたのか、それを健気に待っていたのか、と、そこまで知ると恐ろしくなり、長く佇み覗き込んだ深い深い井戸のふたを厳かにしめ、振り返ると、あら、どうしたの? あなた、ひどい汗をかいているわ?と無邪気に笑うので、私は深く彼女を抱きしめ、耳を熱い吐息が包み、気が付けば54321、2013年の鐘の音。
2012年11月1日木曜日
容認2
ああー、今日も本当に疲れた。さあ帰るかあ。今から地下鉄で8駅、池袋で乗り換えて1時間20分の自宅に帰るぞー。そんなんシラフで乗ってられっかよー。耐えられるわけないじゃん。ちょっと池袋で一杯飲んでから帰るかー。
んで、さてと気合入れて、今から急行乗るぞー。みんな疲れてんね。おっさんは当然、若者も、お姉さんも、ぐったり寝ておられます。本当にご苦労さんです。真っ暗な車窓からは、家の灯りがポツリ、ポツン、テンテンテン時々踏み切り、ガラガラガラ、入間川を渡りました。
電車の中の広告を眺めて見れば、まずは週刊誌、次にマンション、分譲住宅、駅から徒歩3分って、その駅から目的地まで何分なんだよー、池袋まで座って行けますって、どれだけ早起きすればいいんだよー、そしてまた目に入る、多重債務を整理しませんかっていう広告、塾、エトセトラ。お先真っ暗。
こんな時でも元気なのは若者だ。途中の駅から乗ってきて、みんな元気だ。なんだ皆、いい子ばっかりじゃないか?最近の学生は、どうたらこうたら、そんないつの時代も言われてきたが、どうだろう。やっぱり彼らは日本の未来を背負ってたってるね。目指すところが違う。頑張って、大人になれよ。隣にいる大人の姿はとりあえず、無視しとけ。大人になっても、満員電車さ?いや容認か??
東京都をでれば出るほど、駅と駅の間隔は広がり、停車駅の身にしみる寒さ、寂しさ、ああこれが、埼玉県である。椅子に座って寝ているお姉さん、皆、能面のように寝ていらっしゃるが、まあたまには、寝言いってにやにやしたり、歯軋りしたり、そういうのもありではないかな。おじさんは君たちの、柔らかい寝顔に癒されたいのだけれど、この時代癒しも有料だからね。
尾羽うち枯らしてという言葉がよく似合うおっさんは、結構途中駅から乗ってきて、まあ服装から言って、両横に山の稜線、なんとも場所をとる様な雰囲気であるが、すでにこのあたりでは、かなりの人が降りているので、それほど、違和感もなく、またそれを軽蔑するような風情で、少しだけまともなオッサンが、俺はまともに仕事してるんだとばかりに、ビニール傘を、まっすぐに立てて、一線を画しているのも、またなんとなく哀れである。こういう、感情は、朝非常に早起きして、同じ電車に乗っている面々にも感じるもので、なにより、このような途中の駅で働いているという勤務先、朝こんなに早くから働かなくてはならない、その人の一身上の都合とやらに思い当たるに、憂鬱が診断君の心を更に、覆うのである。
ここで読者はお気づきであろう。診断君の容認批判とは正に、神の視点にあるもので、小さい頃からそうであるが、どこか上から目線で、大衆を眺め、手にとり、哀れみ、慈しみ、蔑み、そのちっぽけな彼らが、何故この状態を容認しているのであろうと心中、いらいらしつつ、一線を画してきた、不届きな人間である。
であるから、日本では生きて行けず、こうしてタイに20年もいついてしまったものと思われる。であるからこそ、今度はタイ人社会が容認しているものを、神の視点で、あれこれと品評して、毎日生活しているものです。ピックアップの荷台のタクシーとか水溜りで営業する屋台のラーメンとか、繁華街で這って物乞いする乞食とか、エトセトラ。
診断君などという生意気な名前も正にそういうところに由来しているのかと、ここまで書いてはたと気づいたものであるが、大衆が容認する大衆社会での労苦、これは 診断君の侮蔑の対象。何故それを容認して生きて行けるのか分からない、しかし、診断君がこの社会を診断君のわずかな人生の中で変えていけるものでもなかろう、従って、100年くらい未来の読者の皆様には、この診断君の神の視点もあったんだねえーというくらいに思って頂ければ、幸いである。それから、診断君の足跡をたどったり、卒論のテーマにしたり、女性関係を調べたり、診断君で本を書いて儲けたり、まあ、そういうことは自由であると、この文章をもって未来人に許可を与える次第である。
んで、さてと気合入れて、今から急行乗るぞー。みんな疲れてんね。おっさんは当然、若者も、お姉さんも、ぐったり寝ておられます。本当にご苦労さんです。真っ暗な車窓からは、家の灯りがポツリ、ポツン、テンテンテン時々踏み切り、ガラガラガラ、入間川を渡りました。
電車の中の広告を眺めて見れば、まずは週刊誌、次にマンション、分譲住宅、駅から徒歩3分って、その駅から目的地まで何分なんだよー、池袋まで座って行けますって、どれだけ早起きすればいいんだよー、そしてまた目に入る、多重債務を整理しませんかっていう広告、塾、エトセトラ。お先真っ暗。
こんな時でも元気なのは若者だ。途中の駅から乗ってきて、みんな元気だ。なんだ皆、いい子ばっかりじゃないか?最近の学生は、どうたらこうたら、そんないつの時代も言われてきたが、どうだろう。やっぱり彼らは日本の未来を背負ってたってるね。目指すところが違う。頑張って、大人になれよ。隣にいる大人の姿はとりあえず、無視しとけ。大人になっても、満員電車さ?いや容認か??
東京都をでれば出るほど、駅と駅の間隔は広がり、停車駅の身にしみる寒さ、寂しさ、ああこれが、埼玉県である。椅子に座って寝ているお姉さん、皆、能面のように寝ていらっしゃるが、まあたまには、寝言いってにやにやしたり、歯軋りしたり、そういうのもありではないかな。おじさんは君たちの、柔らかい寝顔に癒されたいのだけれど、この時代癒しも有料だからね。
尾羽うち枯らしてという言葉がよく似合うおっさんは、結構途中駅から乗ってきて、まあ服装から言って、両横に山の稜線、なんとも場所をとる様な雰囲気であるが、すでにこのあたりでは、かなりの人が降りているので、それほど、違和感もなく、またそれを軽蔑するような風情で、少しだけまともなオッサンが、俺はまともに仕事してるんだとばかりに、ビニール傘を、まっすぐに立てて、一線を画しているのも、またなんとなく哀れである。こういう、感情は、朝非常に早起きして、同じ電車に乗っている面々にも感じるもので、なにより、このような途中の駅で働いているという勤務先、朝こんなに早くから働かなくてはならない、その人の一身上の都合とやらに思い当たるに、憂鬱が診断君の心を更に、覆うのである。
ここで読者はお気づきであろう。診断君の容認批判とは正に、神の視点にあるもので、小さい頃からそうであるが、どこか上から目線で、大衆を眺め、手にとり、哀れみ、慈しみ、蔑み、そのちっぽけな彼らが、何故この状態を容認しているのであろうと心中、いらいらしつつ、一線を画してきた、不届きな人間である。
であるから、日本では生きて行けず、こうしてタイに20年もいついてしまったものと思われる。であるからこそ、今度はタイ人社会が容認しているものを、神の視点で、あれこれと品評して、毎日生活しているものです。ピックアップの荷台のタクシーとか水溜りで営業する屋台のラーメンとか、繁華街で這って物乞いする乞食とか、エトセトラ。
診断君などという生意気な名前も正にそういうところに由来しているのかと、ここまで書いてはたと気づいたものであるが、大衆が容認する大衆社会での労苦、これは 診断君の侮蔑の対象。何故それを容認して生きて行けるのか分からない、しかし、診断君がこの社会を診断君のわずかな人生の中で変えていけるものでもなかろう、従って、100年くらい未来の読者の皆様には、この診断君の神の視点もあったんだねえーというくらいに思って頂ければ、幸いである。それから、診断君の足跡をたどったり、卒論のテーマにしたり、女性関係を調べたり、診断君で本を書いて儲けたり、まあ、そういうことは自由であると、この文章をもって未来人に許可を与える次第である。
2012年10月22日月曜日
容認
満員電車を容認するということを考えてみよう。
診断君は、幼い頃から、電車通学をしていたので、私鉄の某西武池袋線で通っておりました。今思うと、電車の中はすし詰めで、小さな診断君は、シャリのように人ごみにもまれて、ランドセル毎捻られながら、3つ先の学校のある駅まで通っていたものである。あの息苦しさ、目当ての駅で降りれるだろうか?という心細さ。ある日診断君は、ひばりが丘という、急行の通過待ちの駅で、目の前が真っ白くハングアップし、今思うと非常に危ない状況で、ホームに押し出され、そうして、しゃがみこんでしまったものである。あんなことが容認されていいのか?死ぬところだったぞ。
電車、鉄道経営というものは、当然その箱の中に乗客を詰めれば詰めるほど、儲かるわけである。1分に一本のあるていど隙間の多い電車を設定するところを、3分に一本のすし詰め満員電車を設定した方が、大いにもうかるわけである。鉄道という乗物においてはまさに、こうしたことが伝統的に行われていたわけで、大都市の日本人はこれを容認し続け、最新の診断君の帰日でも確認したが、今日も同じことが行われている。
この状況は、郊外に住宅地が開発されればされるほど、更にひどくなるわけで、昨日まで座れた始発駅は明日は、単なる急行の通過駅になるなんてこともある。なんにせよ、あの息苦しい電車の中で、わーっと叫ばず、1時間、1時間半、2時間も毎日会社に通う。世の中の進歩を尊び、遅れている行政を侮蔑し、極めて知的で、極めて個人性の強い日本人が、こんな満員すし詰め列車を、診断君が生まれた頃以前よりやっているわけであるから、進歩ゼロ。何故これを人は問題にしないのか?
映画館はどうなのだろうか?昔、診断君幼少時、スターウオーズなんて、座ってみることが出来なかった。親父の横で、背伸びしながら、2時間くらい立ち見した覚えがある。座れるとすると、その次の回からなのだ。しかし、銀座マリオンくらいが出来てからは、少しその状況も変わったのではないか?とりあえずは映画は座って見れるようになったのではありませんか?
日本人の皆さんは、一体これからどれだけ、この満員電車というものを、容認されるおつもりなんでしょうか?選挙で満員電車をなくそうなんて、公約をした政治家を見たことがないが、いたら教えて下さい。診断君は、全力でその政治家を応援することであろう。満員電車って、例えば、混雑率を200%とか250%とか表現するわけである。こんな表現がゆるされるていること自体がおかしくないか?そして、そうした人間の異常な密着状態から、痴漢行為、痴漢冤罪などの問題が発生しているのではないか?または、そんな沢山の人の命を、たった一人の運転手に託していることも、歪な感じがするのである、診断君の本能から言えば。
それで、そうした小学校から、大学まで、電車通勤をしてきた診断君は、社会人になってまで、そんな生活をすることが耐えられなくなり、こうしてタイで(海外で)働く道を探したものである。もしいつか、日本の電鉄会社が、過ちを認め、これからはひとつの電車の椅子に座れる人間の1.5倍くらいまでしか、お客さんをのせません。えらいすんませんでした、などと謝罪をし、その上部円形禿頭を垂れる日がくれば、診断君も、日本に帰ることを検討しないでもないのである。その時は、毎朝、通勤電車の中では、人と人との一定の距離が作られ、その間を、ジャスミンの香りでも流れるようにして見れば、最早、日本人お互いが朝からおかしな疑心暗鬼にとらわれてすごすこともなくなり、逆にまた帰りの電車、(これはいつか別の機会に書くが)のあの、なんとも言えない脂ぎった緩みもまた起こらないのではないかと思う。
最後に、もうひとつの鉄道が生んだ社会悪として、ホームがある。状況からして、あれはどうにも危ない場所である。エレベータで言えば、外の扉がついていないで、中の箱がすかすかと目の前を通り過ぎる状態と一緒である。車に扉をつけていないのとあまり変わらない。今日まで、あそこに柵がなかったがために、どれだけのひとが転落死し、どれだけのひとが、自殺と勘違いされ、どれだけの遺族が、その運行遅延の補償金を払わされたのだろうか?この前日本で丸の内線にのったら、やっとこさ、ホームに立派な柵が出来ていたが、本当、これがない状態が異常ではないか?何故誰も怒らないのだろうか?
診断君は、こういう容認できずに、わっと声を出して叫びたくなるようなことが沢山ある。それは今後徐々にネタとして披露するということで。
診断君は、幼い頃から、電車通学をしていたので、私鉄の某西武池袋線で通っておりました。今思うと、電車の中はすし詰めで、小さな診断君は、シャリのように人ごみにもまれて、ランドセル毎捻られながら、3つ先の学校のある駅まで通っていたものである。あの息苦しさ、目当ての駅で降りれるだろうか?という心細さ。ある日診断君は、ひばりが丘という、急行の通過待ちの駅で、目の前が真っ白くハングアップし、今思うと非常に危ない状況で、ホームに押し出され、そうして、しゃがみこんでしまったものである。あんなことが容認されていいのか?死ぬところだったぞ。
電車、鉄道経営というものは、当然その箱の中に乗客を詰めれば詰めるほど、儲かるわけである。1分に一本のあるていど隙間の多い電車を設定するところを、3分に一本のすし詰め満員電車を設定した方が、大いにもうかるわけである。鉄道という乗物においてはまさに、こうしたことが伝統的に行われていたわけで、大都市の日本人はこれを容認し続け、最新の診断君の帰日でも確認したが、今日も同じことが行われている。
この状況は、郊外に住宅地が開発されればされるほど、更にひどくなるわけで、昨日まで座れた始発駅は明日は、単なる急行の通過駅になるなんてこともある。なんにせよ、あの息苦しい電車の中で、わーっと叫ばず、1時間、1時間半、2時間も毎日会社に通う。世の中の進歩を尊び、遅れている行政を侮蔑し、極めて知的で、極めて個人性の強い日本人が、こんな満員すし詰め列車を、診断君が生まれた頃以前よりやっているわけであるから、進歩ゼロ。何故これを人は問題にしないのか?
映画館はどうなのだろうか?昔、診断君幼少時、スターウオーズなんて、座ってみることが出来なかった。親父の横で、背伸びしながら、2時間くらい立ち見した覚えがある。座れるとすると、その次の回からなのだ。しかし、銀座マリオンくらいが出来てからは、少しその状況も変わったのではないか?とりあえずは映画は座って見れるようになったのではありませんか?
日本人の皆さんは、一体これからどれだけ、この満員電車というものを、容認されるおつもりなんでしょうか?選挙で満員電車をなくそうなんて、公約をした政治家を見たことがないが、いたら教えて下さい。診断君は、全力でその政治家を応援することであろう。満員電車って、例えば、混雑率を200%とか250%とか表現するわけである。こんな表現がゆるされるていること自体がおかしくないか?そして、そうした人間の異常な密着状態から、痴漢行為、痴漢冤罪などの問題が発生しているのではないか?または、そんな沢山の人の命を、たった一人の運転手に託していることも、歪な感じがするのである、診断君の本能から言えば。
それで、そうした小学校から、大学まで、電車通勤をしてきた診断君は、社会人になってまで、そんな生活をすることが耐えられなくなり、こうしてタイで(海外で)働く道を探したものである。もしいつか、日本の電鉄会社が、過ちを認め、これからはひとつの電車の椅子に座れる人間の1.5倍くらいまでしか、お客さんをのせません。えらいすんませんでした、などと謝罪をし、その上部円形禿頭を垂れる日がくれば、診断君も、日本に帰ることを検討しないでもないのである。その時は、毎朝、通勤電車の中では、人と人との一定の距離が作られ、その間を、ジャスミンの香りでも流れるようにして見れば、最早、日本人お互いが朝からおかしな疑心暗鬼にとらわれてすごすこともなくなり、逆にまた帰りの電車、(これはいつか別の機会に書くが)のあの、なんとも言えない脂ぎった緩みもまた起こらないのではないかと思う。
最後に、もうひとつの鉄道が生んだ社会悪として、ホームがある。状況からして、あれはどうにも危ない場所である。エレベータで言えば、外の扉がついていないで、中の箱がすかすかと目の前を通り過ぎる状態と一緒である。車に扉をつけていないのとあまり変わらない。今日まで、あそこに柵がなかったがために、どれだけのひとが転落死し、どれだけのひとが、自殺と勘違いされ、どれだけの遺族が、その運行遅延の補償金を払わされたのだろうか?この前日本で丸の内線にのったら、やっとこさ、ホームに立派な柵が出来ていたが、本当、これがない状態が異常ではないか?何故誰も怒らないのだろうか?
診断君は、こういう容認できずに、わっと声を出して叫びたくなるようなことが沢山ある。それは今後徐々にネタとして披露するということで。
2012年8月27日月曜日
トム
トムボーイとレディボーイ
最早、このタイ国においては、性別という国境は、主観的にも客観的にも容認、黙認、無視、感心、面白おかしく、これが自由というものでしょうか? トムな奴も、レディーな輩も、当たり前の如く、混じり合い、寄り添い、スタバでゼミの宿題などやっている風情。これが市民権というのであろうか?
そもそも市民権とは何であろうか?タイに二十年、診断君は、市民権を獲得したのであろうか?答えは、否。随分と、お金を落としてきたはずであるが、いつかタイ国を愛したものとして表彰されるかは不明である。
あの、見るからに男装に身を包み、見るからに変に華奢で、それでいて堂々とあたりを見下し、麗人を侍らすトムボーイ達を見よ。彼等は結婚もするし、机の上に結婚写真あったし、としとっても一緒に暮らしているし、とにかく普通に普通に、そういう、未婚です、既婚です、親と一緒です、ホクロがありますレベルの普通さで、街を闊歩しているではないか?
この診断という差別主義者は、どうもあのトムボーイが好きになれない。好感が持てない。ごめん、俺ダメだ。古い人間なんだ。まだ、ゲイのカップルの方が、控え目ではないか?普通の友達みたいにして、ちょっと距離が近かったりして。まだ、オカマと男のカップルの方があのマイノリティに有りがちな、攻撃は最大の防御也といった、排除的な感じがないではないか?恥じらいという人間らしい木目を感じるのである。
トムボーイのカップルに感じる、あの独特の機械音はなんであろうか?あの、何事の延長線にも感じられない、非人間的な、アイフォーン見たいな軽薄さ。人間2人が歩く時の独特の、重さ、泥臭さが皆無である。そもそも、性同一性障害という理由で、どうしても現状の自分の性を容認出来ないという現実があったとしても、すべてが、その原因で、トムになったり、レディーになったりしているとは、思えない。大体本当に、楽しそうに卑猥に、イチャイチャしているトムボーイカップルを見たことがない。回す手も、見るからに態とらしい。
何かもっと別の理由で、そういうことになった人もいるのではないかと、診断君は思うのである。
現在の自己を容認出来ない病気ということで考えてみよう。
自分は高校生だが、高校生とは思えない。中学生なんじゃないか?
自分は子供だが子供とは思えない。爺さんじゃないのか?妙に老成している。
自分は大人だが、子供の方が性にあっている。
自分は、日本人だが、イタリア人の方が性にあっている。
自分は、土方だが、事務の方が好きだ。
勿論、これは屁理屈かもしれないが、自分は女ではあり得ないという病気からトムボーイが生まれ、それを好きになる女がいるとするのであれば、この関係には、もっと大きな、男性への嫌悪感がベースにあるのでは?と思うのであるがどうであろうか?トムボーイを好きになる女性とは何か?トムボーイが性同一障害だとしても、その消費者については説明出来かねる部分がある。
実は、診断君は女性には性同一障害なんてないんじゃないか?とまで勝手に考えているのである。あれは、男だけの病気なんじゃ? タイのトムボーイ増加は、好い加減な男性に対する決定的なトラウマが生み出した、トムボーイ第一世代、そして、それを、ファッション及び異性に対する面倒臭さから発生した第二世代と進んできたのではないか?今後行き着くところがあるとすれば、原点回帰のトムボーイと男性のユニホモカップルとか、ゲイと女性のカップル、トムボーイとレディボーイのハイブリッドカップル、私らはそういうカップルだよと周りを見下しながら闊歩する世界ではないか?あらゆる組み合わせをもってしても、男性と女性という素材以上を人間自身が生み出すことは出来ないのであるから、人間は人工的形而上の性を作り出し、誰かがそれに率先して成り切り、それを誰かが真似し、また誰かが寄り添って、ひとつのマイノリティという巨大な団体を生み出すということだ。
このトムボーイに対する否定論の原点は、かつてRCAという盛り場で間違って、女性専用のパブに入ってしまって、診断君も、意外と、見た目結構ユニセックスでトムボーイな外観なので誰にも、気付かれず、様子を見ていたが、女性同士できゃっきゃしているのも、トムボーイのカップルも雰囲気はそうは変わらない。あそこには、恋愛、未練の毒を飲んで、笑ったり、泣いたり、涎を垂らしているものがいなかった。あれは、ちょっと変だ、という違和感から始まったものである。つるんとして、なんか、つまらなそうなのである。
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